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葉月と金魚の話
(ルクイユの夏恋BL用)
テーマは「夏恋」
BLカップルの暑い夏の情熱を滾らせよう!
期間:8/6~8/9
イラスト・漫画・小説 表現方法はどれでもOK!
小説140字~・ツイノベOK!
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1人何作品でももちろんOK。
参加方法: 下のハッシュタグをつけツイートするだけ!
#ルクイユの夏恋BL
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「ねえハヅキ。ぼくたちが初めて会った時のことって覚えてる?」
「覚えてるよ、もちろん。小さい頃に行った夏祭りの夜だった」
「ふうん」
ぬるま湯を張った風呂の中で、トトの朱色の髪の毛を梳きながら幼い日のことを思い出す。トトは気持ちよさそうにして、そのまま目を閉じてしまった。自分から話し掛けといて勝手な…まあいいや。僕はトトの髪の毛を梳き続ける。
焼きそば、お面、わたあめ、ヨーヨー…屋台に圧倒されてなかなか一歩を踏み出せなかったある夏の夜。父親の手を握りしめ人混みの中を縫うように歩く僕の目に飛び込んできたのは、青いビニールプールの中で群れをなしていた、その頃覚えたての「朱」という色をした生き物。
トトは、その中の一匹だった。
「覚えて…ないなぁ。そうだったっけ?」
あ、起きてたの。
「寝てないよ」
「ごめんごめん」
「で?ぼくはそこからどうやってハヅキのところに来たわけ」
僕は初めてもらったお小遣いを全部金魚すくいに使おうと思ったんだ。でも、首にぶら下げた財布から小銭ばら撒いちゃって。
「そんで大泣き」
「なにやってんのー」
「しょうがないだろ、子供だったんだし」
「オトウサンが買ってくれたの?」
「それがさ」
生き物を飼うっていうのは責任のあることなんだから、自分の力でなんとかしなさい、って見てるだけで。で、ばら撒いた小銭を泣きながら一人で拾い集めてなんとか二回分。
大人になった今でこそわかるポイの破れやすさのカラクリなんてのも、当時は知るわけもなく。
最後の一枚、溶けかかったポイの枠に辛うじて引っかかってくれたのがトトだった。
「そっかぁ。ぼくに感謝だね?」
「はいはい、感謝してます。僕のところに来てくれてありがとう」
朱色の髪を掻き分けてその根元にキスをする。トトの髪はいつも少し湿っていて、どことなく水草の匂いがする。水草に匂いがあるかどうかは知らないけど。
「あります。太陽の匂いです」
「へえ」
「水だけあってもダメなのです」
「知ってます」
僕の胸に凭れていたトトがふいに身体の向きを変えた。冷たい唇が僕のそれと合わさる。
「愛もなくちゃね」
唇を触れ合わせたまま僕は、分かってるよ。と、トトの声を飲み込んだ。
屋台で買った金魚に僕はトトと名付けた。宿題を忘れることはあっても、トトの餌やりを忘れたことはなかった。六歳の時に出逢ってから十年間、トトは家の水槽で愛らしい姿を見せてくれた。
屋台の金魚にしては随分長生きしてくれたね、と家族で弔ったその一年後、信じられない出来事が起こった。
去年、高校最後の夏休み。クラスメイトと来ていた夏祭りの夜。ふいにトトが僕の眼の前に現れたのだ──人間の姿で。
「…え」
絶句して動けないでいる僕に、朱い髪色をした僕と同い年くらいの彼は、水底から湧き上がる泡のようにふくふくと笑った。
「久しぶり、ハヅキ」
屋台の喧騒。
揺らめく提灯の明かり。
茹だるような人いきれ。
「覚えてる?ハヅキが大事に育ててくれたトトだよ」
その声は僕だけにやけにはっきり聞こえたみたいだった。周りの喧騒はただ賑やかで。だけど僕と彼の間だけは怖いくらい音が無くて。
いや。
いやいやいや。
金魚が人間になるだなんて、そんなおとぎ話じゃないんだから。第一トトは…前の年に死んでいる。そう、揶揄われているんだ。シカトだシカト。
そう思っても足は動かなかった。とっくにクラスメイトとははぐれていた。
「あり得ないだろ…」
僕の声はカラカラに乾いてとても聞き取れるものじゃなかったけれど、彼の耳には届いたらしい。
「ま、そうだよね」
トトを名乗る彼のしれっとした言い様に、乾いた喉が余計に貼りついたのを覚えている。
「でも本当なんだ。ハヅキにまた逢いたいと強く願っていたら、こんな姿になってた」
一歩ずつ近付いてくる朱い髪。目を見開いたままの僕の顔にそっと手が添えられた。ひんやりとして少し湿っている手のひら。少しだけ淀んだ水の匂い。コポコポという酸素の音。
「ぼくはトトだよ、ハヅキ」
「あの時はほんと、びっくりしたんだからな」
「ごめん、どう説明したらいいか分かんなくて」
風呂から上がり洗い立てのシーツの波間を二人で漂いながら、僕はトトの朱い髪に鼻を埋める。
高校卒業後、大学近くのアパートを借りた僕はトトと一緒に住むようになった。僕が大学に行っている間、トトは弁当工場でライン洗浄のアルバイトをしている。やっぱり水がないと生きていけないから?心配になってトトに聞くと、
「別にそんなことないよ。マニュアル作業の方が向いてる、ってただそれだけ」
「ねぇ無理してバイトしなくてもいいんだよ、そんなこと言ってるけど乾いたら辛いんでしょ?」
「大丈夫だって別に金魚体質じゃないし今。ご飯だって普通にハヅキと同じもの食べてるし」
「だって去年の冬、乾燥したとたんにめっちゃ体調悪くなってたじゃん」
「冬は誰だって風邪引くでしょ」
「風邪を引く金魚…ふふ」
「だーかーらー、今は金魚じゃないってば」
今でこそこんな普通に会話、というか普通以上の関係ではあるけれど、再会したあの時はこんな風になるなんて思ってもみなかった。
長いこと可愛がっていたトトであると確信したのは、あの夏祭りの夜。
そうまで言うなら試してやる、と僕は唐突に彼の前に人差し指を突き出した。当然のように僕の指先に唇を寄せた彼に、あ、本物のトトだと得心した。トトは…金魚のトトは、ガラスの水槽越しの僕の指先が大好きだったから。
それからというもの、学校や塾が終わる時間を見計らって現れるトトと、ご飯を食べたり図書館へ行ったりするようになった。初めてカラオケにトトを連れてったら、僕がいつも歌っていたアニメの主題歌を上手に歌い出したのにはびっくりした。
「だってハヅキ、毎日歌ってたんだもん。覚えちゃったよ」
別れ際「じゃあねまた明日」と手を振るトトに、そういやどこに帰ってるんだろう、と尋ねたことがあった。
「ほら神社の裏に池があるでしょ?あそこの祠で寝泊まりしてる。みんな親切だし」
「祠…え、あんな小さいところ?てかみんなって誰」
「え、鯉とかハクビシンとか?ハクビシンはたまにぼくのこと食べたそうな目で見るけどね」
「んんん?ちょっと頭が追い付かないんだけど」
「まあ元金魚なんでその辺はうまいこと理解してよ」
「うまいこと…ううん。なんとかして僕ん家に来れないかなぁ」
「ええ?さすがに信じてもらえないでしょ。こんな朱い髪の学校にも行ってないようなヤツなんて、オカアサンもオトウサンもびっくりするだけだよ」
「う、ん…まあそうだけどさぁ」
確かに両親に「ほら金魚のトトだよ」だなんて確かに信じてもらえる気がしなくて、その時は後ろ髪を引かれつつ別れたけど。
冬が来て受験の最中。合格祈願に二人で神社にお詣りをした夜。なんか変、と鼻をぐずつかせるトトのおでこを触ったら熱くて。
慌てて家に連れて帰って「親が海外に行ってて一人なんだ」と苦し紛れの嘘をついて、薬を飲ませて僕のベッドに寝かせて。
加湿器で窓が曇るくらいになった頃、トトは「あ、治った!」と元気に飛び起きた。僕はその姿を見てどれだけホッとしたか。
だってまたトトを喪うなんてそんなの考えられない。
「トトはずっと僕の傍にいること」
汗びっしょりのパジャマごとトトを抱き締めると、
「ハヅキは心配性だなぁ」
と笑ってトトも抱き締め返してくれた。この気持ちをどうしたらいいか分からなかった僕は、カサカサしているトトの唇にそっと指先を当てた。そうしたら、トトが金魚だった頃と同じように唇を尖らせるから、僕は指を抜いて自分の唇を──
「で、あの時僕は風邪を移された訳ですよ」
「ジゴウジトクっていうんだよそういうの」
甘いキスやハグに慣れてきた今だからこその笑い話だ。
トトの朗らかな性格にうちの親もすっかり打ち解けて、「ご両親には挨拶の電話しとくから遠慮なく家に居なさい」なんて、僕たちは慌てふためいて「なかなか電話が通じないからとりあえずメールで」などと誤魔化しつつ、僕の高校卒業と大学進学で曖昧にした感じだ。
一年と半分経って大学二年の夏がやってきた。僕は夏が来るたびに少し不安になる。トトが、あの夏祭りの夜の時みたく急に消えたりしないかと。言葉にすると本当になりそうで怖いから口にはしないけど。
「そうだハヅキ。明日商店街で夏祭りやるみたいだよ、アパートの掲示板に貼ってあった。行く?」
「ううん、行かない」
「なんでさ」
「ええだって暑いじゃん」
「いつからこんなメンドクサイ男になったんだハヅキ」
「人間のトトに逢った頃からだね」
ぼくのせいにするなとジタバタするトトを背中から抱き締める。
水の匂いと太陽の匂いと、共有する肌の匂い。
「生まれ変わってもまた逢えるかな」
僕は同じ質問を繰り返す。
「ハヅキが望むなら、何度でも」
僕の指先にキスをしながら、トトは答える。
「約束してね」
「約束するよ」
僕の愛する人は、元・金魚です。
終わり
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