あんこ

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あんこ

丸い大きなベッドの端に座って部屋の中を物珍しそうに見まわす南さんに断って、私は先に浴室に向かった。 夏の終わりで夜でもまだ暑い。汗だくだ。 おまけに今夜はずっと小さなライブバーにいたので、地下のお店特有のこもった匂いがTシャツにしみこんでいる。店の中だとまったく気にならないけど、こうして無香の場所に入ると自分が相当の匂いを発してる存在だとわかって驚く。 Tシャツを脱いでブラジャーを外す。 ジーパンとパンツを脱ぐと、私はビニールに入ったピンクの替えのパンツを取り出して見た。かなり割高だけれど、こういう場所ではフロントで下着の替えが置いてあるのはうれしい。 普段外に出る時はいつもしている変装用の栗毛色のボブのウィッグを取ると、私はこのかつらの説明を南さんにどこから話し出そうかと考えた。 「あんこちゃん、か」 私は初めて南さんに会った時、あんこ、と名乗った。 名前なんかはなんでもよかったけれど、呼び名がないのは話しづらい。 夜の街の路上で大の字になって寝ているヨッパライを南さんと二人で立ち上がらせた時、その初老の男は機嫌よく歌を口ずさんでいた。 それは、あんこ、という女の人のことを歌った昔の歌謡曲だった。 いや、固有名詞じゃなくて、あのこ、って意味かな。わかんない。どっちでもいいや。 歌の中の、あんこという女の人と私は、よく似ていると前から思っていた。
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