手紙と愛

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~手紙と愛~  つい二週間前、とある海で女性の遺体が発見された。防水加工のケースの中にあった写真や持ち物、着ていた服と、女性の夫の証言等から案外簡単にそれが誰なのか特定された。一時は殺人事件かとニュースで流れたものの、話題もすぐに消え去った。  「あ、こっちです、こっち」  『田中 菜乃花』が自然溢れるカフェに訪れると、奥の席から立ち上がり、スレンダー且つ冷酷そうな女性が菜乃花を軽く手招きする。菜乃花はその声に反応し、慌てて駆け寄る。  「では改めまして…初めまして、私は『真鶴 澪』、しがない探偵です。」  同時に、慣れた手付きで名刺を菜乃花に手渡す。一方の菜乃花は不馴れな手付きで受けとる。シンプルな名刺には事務所名と本名、電話番号などが淡々と印刷され、それらは全て菜乃花が調べたホームページにかかれていた情報と全く同じであった。  二人用席に菜乃花が座ると、今度は澪は右手をあげ、店員を呼ぶ。  「ブラックコーヒーひとつと…そちらは?」 「ええと、じゃあオレンジティーで…」 「かしこまりました。」  決まり文句を言うと、素っ気ない新人店員は厨房へそそくさと戻っていった。  他に客もいないために、二人の間にやや気まずい沈黙が流れる。  暫くした後に鋭い瞳を菜乃花に向けた澪は流暢に話しかける。  「今日はわざわざ時間をつくっていただき、ありがとうございます。」 「いえ…こちらこそ、わざわざ私を見つけてくださり、ありがとうございます…それで、あの、手紙は…」 「はい、少々お待ちください。」  澪はそう言うと、ショルダーバッグから茶色い封筒を取り出した。同時に頼んだ飲み物が来るので、軽く店員に礼を言う。新人店員は相変わらず笑顔も見せずに去っていった。  そんなことは気にせずに、澪は名刺と同様に手紙を差し出す。  「これです。田中さん…いえ、菜乃花さんのご姉妹の手紙です。」  宛先には、確かに我が姉妹へ。と丸文字で記入されている。菜乃花はその文字が、自らの姉妹の筆跡だということを瞬時に理解した。  「この字は、間違いなく姉の…『柏崎 埜々香』の字だわ…!ありがとうございます…!ありがとうございます!!」  名前を確認したとたん、菜乃花は今度は引ったくるように受け取り、涙ながらに礼を呟く。  では何故、探偵である澪がその手紙を持っていたのか…  実は、その手紙は澪の事務所に届いた手紙の一つだった。手紙の一つは澪の目の前の女性へ、そしてもう一つは澪への依頼用の封筒であり、それらはポストに投函されていた。  そして、その依頼文の中には、共に届いた手紙を姉妹に渡してほしいという依頼文が、家族仲睦まじく映る一枚の写真と価値のある物と共に同封されていたのだ。半ば強引な取引ではあるものの、特に断る理由もない澪はすんなりそれを受け入れてしまったのだ。  そんな澪は菜乃花の感謝に淡々と言葉を紡ぐ。心底、どうでも良いと言ったような態度である。  「いえ、菜乃花さんのご姉妹さんからのご依頼でしたので。」 「ふふ…埜々香はそれだけ貴方の腕を信頼していたのですね。実際、絶縁状態だった私の連絡先をこうしてすぐに突き止めてくださったのですから。」  恐縮です、と澪は軽く頭を下げる。それを見て愛想笑いをし、菜乃花は鞄に手紙を仕舞う。  「では、私はこれで…」  そして椅子から立ち上がり、紅茶も飲まずに立ち去ろうとする菜乃花を、澪はコーヒーを飲みながら優雅に留める。  「まあ、そんなに急がなくてもいいではないですか。今日一日は時間があるからと、この日を選ばれたのでしょう?折角紅茶も頼んだのですから、ね?」  そこには、既に冷酷そうな女性の面影など無かった。代わりに、子供のようないたずらな笑みを浮かべる澪のもう一つの面があった。  「…………でも、私貴女とこれ以上話すことは…」  どうにかして帰りたい菜乃花は誘いを断ろうとするが、先程とは違う澪に動揺が隠せず、「急用が出来た」という便利な言葉さえ次ぐ余裕など無い。そんな菜乃花を見越していたのか、澪は再び笑みを浮かべた。今度は、先程のような冷酷で冷静な澪の、愛想笑いにすらなっていない笑みだ。  「では、私がちょっとしたたわいも無いお話をしましょう。つまらなくなれば、帰っていただいて構いません。私が貴女を引き留めるのは私のエゴなのですから。」  赤渕の眼鏡をくいっとかけ直すと、澪は菜乃花をレンズ越しに見つめる。  暫くは躊躇っていた菜乃花も、やがて諦めたように再び着席した。
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