とりあえずパンツ穿け。

4/7
前へ
/7ページ
次へ
 そういうわけで、私は月面基地に到着するまでの2か月間を裸族と過ごすことになった。  私の(当然の)主張により、ダイニングその他の共同スペースでは、下着の着用が義務付けられている。 「しかたない、紳士協定だね」  などと言って苦笑いしていた海部は、全裸が一番と言いつつも一日の半分を共同スペースで過ごしている。200年も孤独でいて、人の気配に飢えているのだろう。  目の前をうろうろされ、私もすっかり半裸の海部に慣れてしまった。 「ドクター、こんな感じでどうですか?」 「すっきりしたよ。ありがとう!」  髪を切りなおした海部が、なかなかのハンサムに見えるくらいだ。パンイチなのに。  地質学の博士(ドクター)だった海部は、ノスリ号からノート類や小惑星のサンプルを持ち込んで研究を続けていた。学者という人種の性質なのか、思索に没頭すると周りが見えなくなるらしい。 「ジェイン、ペンあるか? インクが切れてしまって」 「これをどうぞ。……ところでドクター、下着は」 「ん? ああ、すまない。忘れていた。穿いてくる」  何かをつぶやきながら自室に戻る海部の尻を見送ることもある。慣れてしまった自分が怖い。 『ドクター、あなたこそ救世主です』 「それは過分なお言葉です。当時、世界中の宇宙飛行士がこの任務に名乗りをあげていました。私はそのうちの一人に過ぎません」  この日、海部は各国要人との初のリモート会談に臨んでいた。  会談の様子は全世界に同時配信されている。地球上の誰もが、英雄の凛々しい姿を食い入るように見ているはずだ。  短く切り揃え、きっちり櫛を入れた黒髪。思慮深げな焦げ茶色の瞳。痩せてはいるが、若々しく精悍な顔立ち。  そして、JAXAのロゴ入りポロシャツ。藍色のユニフォームがよく似合っている。  これを着させるために、私がどれだけ苦労したことか……。数年前、お風呂上りの甥っ子(当時2歳)にパジャマを着せようとしたときの記憶がよみがえる。あのときの100倍は頑張った。 『我々には、あなたの献身に報いるための用意があります』 「私が望むのは世界の平和、それだけです」  画面に映らない彼の下半身はパンツ一枚。これがばれたら世界平和どころではない気がする。  会談が無事終了すると、海部は早速ポロシャツを脱ぎ捨てた。2時間近く着衣でいたせいか、顔色が悪い。 「途中から嫌な汗が出てきちゃって。やばかったよ」 「お疲れ様でした」  シャワー浴びてくる、と言って海部は出ていった。しばらく全裸になるつもりだろう。私は空調の設定温度を少し上げた。英雄に風邪をひかれては困るので、船内の室温は最近、少し高めに設定されている。  それに合わせて、私も半袖の制服を着るようになった。制服を変えたことに気づいた海部が「なんか良いね」と言ってにこにこしたのが、妙にむずがゆかった。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加