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忙しい俺の表情に朝佳が「気持ち悪い顔してる」と揶揄する。
「このまま時間止めてえな」
わりと本気で言ったら、朝佳が残念なものを見る目で俺を見ていた。
「やっぱ嘘、もっと朝佳の事知りてえ。——手始めにキスしていいか」
ふざけるように呟いて、朝佳の吃驚している顔を覗き込んだ。
たまに驚かせるのも悪くないかもしれない。
今日一日、苦しいことがたくさんあった。散々な目にあった。
きっと朝佳はこのマンションで待っている間に、俺以上の葛藤があっただろう。それでもこの場に残ってくれていた。
それだけがすべてだ。それだけで、充分だろう。
「そういうの聞くのって、デリカシーな……」
朝佳の非難の途中で遮って、唇に触れる。
頭の後ろに流れる髪を撫でてから触れさせていた唇を離せば、ほとんどぼやけた視界の中に、朝佳の瞳が映った。
「——大切にする」
ただ一言誓って、もう一度抱きしめた。
朝佳の甘い匂いを鼻腔に感じて、ゆっくりと腕を放す。その先に顔を赤くした朝佳がいるのを見止めて小さく笑いがこぼれた。
「朝佳」
「なに」
笑っていれば、いつも通りに顰め面で返された。一体、どうやってこんな可愛らしい生き物が、このクソ汚い世界に作り出されたのだろうか。
「少し出るか」
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