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朝佳が選んだのは、もっともシンプルなシルバーリングだった。
8,640円のそれは、花嫁が夫にねだるものとしてはあまりにも安すぎるだろう。クレジットカードを切ることもなく財布の中に入っている金で支払った。店員は、俺たちの姿を優しく見つめている。
これがただのペアリングではなく、結婚指輪だと知ったら卒倒するだろう。苦笑して、商品を受け取った。
すでに閉店時間すれすれになった店から抜け出して、朝佳の隣を歩く。
「あれで良かったのか」
どう考えても結婚指輪には、見合わない品だった。それでも朝佳は真っ直ぐに前を見て、小さく笑った。
「あれが良かったの。値段なんてどうでもいい」
言い切った朝佳が、足を止める。倣うように足を止めれば、名を呼ばれた。後ろで立ち止まる朝佳の方を振り返って、思わず息を呑んだ。
「ありがとう、一生、ずっと大切にする」
それは呆れが失敗したような笑いでも、バイト先で見る作り物の笑顔でもない。
心の底から喜んでいるように、穏やかに笑って、もう一度「ありがとう」と呟いた。
心なしか言葉尻が震えている気がした。
心の価値とは、決して金で測りうるものではない。
今までの人生で、一度も教えられなかったことだった。朝佳の前で、俺は何度でも最低になれる。
だが、最低になれるということは、これからいくらでもマシな人間になれる可能性があるということだ。
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