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洗面台には当たり前のように朝佳の分の歯ブラシが置かれている。ここに朝佳の痕跡があることを、妙に確認したくなった自分に気付いた。
朝佳はこれから大学で、俺はバイトが入っている。時間的には俺の方が余裕があるから、金の振り込みは俺がやると決めていた。
朝佳に言えば些か反抗にあったが、ただ振り込みに行くだけだと言えば、さすがに引いた。
ただの振り込みだとしても、あの胸糞の悪い男が現れる可能性のあるところに、朝佳を近づけたいわけがない。胸の内にある感情は、口に出さずに綺麗に捻り潰した。
濡れた髪を乾かしてリビングに出れば、朝佳がソファの上で転寝している。その頬に勝手に唇を落としてから、柄でもない行動に笑いそうになった。
朝佳もあと3時間ほどなら、眠ることができるだろう。
俺は、昼休みにここへ帰ってきて、朝佳を大学まで送ってからまたバイトに戻れば良い。ちょうどいい時間だ。
そっと毛布を掛けてやれば、朝佳は猫のように寝返りを打って深い眠りに落ちたようだ。
このままここで一緒に微睡んでしまいたくなる頭を切り替える。
名残惜しい指先で朝佳の髪を掬うのを止めて、立ち上がった。そろそろ出なければ、間に合わなくなる。
兄にもらったまま置きっぱなしにしていた紙袋を取り出して、もう一度朝佳の髪を撫でた。
「行ってくる」
小さく呟けば、朝佳が夢の中で微笑んだ。
この笑顔のためなら、いくらでも働けそうだとか、臭い本音を口にしたら、朝佳はまた俺を馬鹿にするに違いない。
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