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「そうなんですね。おめでとうございます。黒木さんお若いのに、凄いですね」
「そんなことないですよ。成り行きで……」
「成り行きですか。それじゃあ、黒木さんはもう運命の人と巡り合えた幸運な人なんですね。うらやましいなあ」
夏目花梨という人は、俺が見てきたどんな人間とも違う。
まさか運命の人と、何の恥ずかしげもなく言われるとは思うまい。わずかに言葉に詰まってから「どうですかね」とだけ返した。
この日、久しぶりに、悪意なく俺と朝佳の婚姻が、他者から認められたような気がした。
「じゃあ、また次もよろしくお願いします」
「はい。黒木さん、右も左もわかりませんので、ご迷惑ばかりおかけしますがご指導お願いします」
二時間きっかりで終了した打ち合わせに、どっと肩の荷が下りる。
想像していた以上に、己とは違う素直そうな人だった。
会社勤めなどできなさそうな人だし、その必要はないのだろう。事実彼女の作品は、多くのファンを魅了している。
このバイトを意味もなく、ただの金稼ぎとして続けている自分が浅ましく思えるくらいに真っ直ぐで、自分に正直な作家だ。
春が来る。
何気なく、吹きすさぶ空気にそう思った。
人生を面白くできるのは、いつもただ一人、自分だけだ。そのことを思い返して一歩を踏み出した。
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