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自分の中に自分ではない「別の何か」がいる。
中学生の頃そんなことを考えていた。アニメや漫画の影響もどこかにあったけど、いま振り返ると「自分の悪い部分・認めたくない部分」のことをそう変換していたのだと思う。
高校生になる頃には「別の何か」も自分の一部だとどうにか認めることができたが、「悪い部分」が前に出てしまったときは自己嫌悪に陥っていた。
気にし過ぎだと分かっていてもどうにも逃れられず苦しい毎日で、対処方法が見つかったのは大学入学後。鍵となったのはグループワークを通じて知り合った彼だった。
自分を肯定できない私にとって彼は眩しかったが、不思議と鬱陶しくは感じなかった。無理やりにではなく物事を肯定的に捉えているように見えた。
私もそんなふうになりたいと思い、意識して考えを変えることにしたが、気を抜けばすぐに後ろ向きになことを言ってしまっていた。
「私なんて」という謙遜というには卑屈な言葉が口癖になっている。彼と話しているときにも出てしまい、「言わないほうがいいよ」と言われた。
「けど、そういう考えもいるよな。俺みたいなお調子者には少しぐらい。俺と久野は真逆だから足して合わせたら丁度良いのかも。どう思う?」
訊かれた私は「かもしれない」と返した。実際どうなのかは分からないから正直に。
その会話をきっかけに彼と気軽に話すようになり、短所も捉え方次第で長所になることを言葉の端々から教わった。
気付けば友人といえる仲になり、お互いを補い合う形が自然とできていった。
社会人となったいまは良いパートナーとなっている。
二人でマンション暮らし。共働きで、時折休日に大学時代の仲間が遊びに来て話に花を咲かせる日常で、もう「別の何か」と思うようなものは存在しななった。
どんな自分も自分だと完全に認めたこともあるが、彼らの明るさに触れるうちに私も明るくなることができた。
そして、いま私の中には新しい命が宿っている。
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