62人が本棚に入れています
本棚に追加
「喉に良いから、朝と晩に飲ませてあげてね」
リセは禿に煎じ薬を渡して、女たちを待たせてある広間に戻った。
そこから、きゃあ、きゃあと、何やら華やいだ声が回廊まで漏れ聞こえていた。
「なぁに?異人のお兄さん、平戸からうちらに会いにわざわざ来てくれたのぉ?」
朗らかに笑んで浩竜の顔を不躾に眺めまわしているのは、男に甘える術に長けた女。
「いけないわ。この男は、おリセちゃんのいい人じゃないの?」
群がる女たちを窘めているのは、男を甘えさせる癒しの女郎だとして人気が高い。
「あははっ、まっさかぁ。あのおリセちゃんに?それこそ無いわよぉ。ねぇ?」
バンバンと、豪快に浩竜の背を叩いて快活に笑う女は、廓一の器量良し。なのに高嶺どころか気安い女というので定評があった。
何処においても目を惹く男、鄭浩竜は、女たちにまたしても囲まれていた。リセに気づくや、浩竜は女たちの輪から抜け出して来る。
その至極苛立った様子に、リセは思わず及び腰になった。
「お前は医者だろう?不養生が過ぎるぞ」
火傷したリセの手を掴んで、浩竜は舌打った。
適切に処置は施してある。
これで何ら問題はない筈だが、浩竜は納得いかない様子にあった。
それよりも――。
「見ていたの?」
「あそこまでする必要があったのか?」
「……」
必要かどうかなど考えていなかった。
少しばかり頭に血が上った。それだけだ。
寧音を大事に想う者は確といると、知らしめたかった。
「やっぱり馬鹿だろう、お前」
浩竜は苦々し気にリセの掌に目を落としている。
案じたその目が擽ったくて、妙に気恥ずかしい。
「こんなものは舐めておけば治る程度のことよ」
リセは浩竜から己の手を奪い返して、後ろ背に隠した。
「それでもだ。リセ、己を厭えない医者など説得力を欠くぞ」
浩竜の目に、寧音を想う己の心が重なった。
嗚呼、どうやら浩竜にとって、リセは蚊帳の内なのだと知る。
「分かった。これからはちゃんと厭うから安心していいわ」
リセは胸に手を添え請け合った。
その分かっているのか分かっていないのか、分からぬ顔に向けて浩竜は小さく息を吐いた。
「でもね、あれで寧音さんが前を向けると言うなら御の字なの」
リセは肩を竦める。
この程度のことではすぐに覆るということをリセは知っていた。
「キセルや酒の依存性は手強いものだから……」
暫く通うことになるだろう。
「ふふっ、お代は笛の音になるわね」
リセは憂いた表情にも少しばかり笑みを零した。
「そんなにいいのか?」
「ふふっ、浩竜も一度聞いてみればいい」
浩竜としては、その誇らしげに推したような目が憎らしい。
「俺が興を引いてるのはお前だけだ。リセ、覚えておけよ」
リセの頭を小突いて、浩竜は船頭の仕事に戻っていった。
その後ろ背を見送りながら、リセは知らず笑みを零していた。
どうしてこうも浮いた心地になるのか?
リセはこれまでに覚えのなかった心を測りきれないでいた。
最初のコメントを投稿しよう!