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このところ、浩竜の訪ねてくる夜を心待ちにしている己に、リセは気づいていた。
「基本の型は十二通り。それを爺さん流に改良していたんだ」
浩竜はリセと向かい合い、拝むように手を合わせた。
リセもそれにならう。
「先ずは一の型――」
足を大きく引き、手を構えた。
流々舞と言って、全ての型を流れるように繋げるのだと言う。
「こう?」
リセも見様見真似で構える。
「もう少し、腰を入れろ。ただ、構えるのではなく、相手の攻撃に反応できるよう備えるんだ」
リセは自身に振り下ろされる刃を想像し、僅かに腰を引いた。
それは忍びの習性だった。
忍びとは確実に暗殺できる時でなければ動かない。故に、相手に反撃できる機を与えないことが前提としてある。もし、反撃に打って出られた時は、逃げの一手に転ずることが定石だったのだ。
「攻撃は最大の防御。迎え撃つための武術だ。腰を引くな」
振り下ろされる刃よりも速く向かえ打つ。
一歩間違えれば……。リセは想像にぞっとした。
己が斬られるところをではない。
うっかり浩竜が斬られたところを想像してしまったのだ。
「もし相手の方が速ければ――そうとは、考えないの?」
「そうだな……怯えればきっと俺は負ける。その時は医師のお前の出番だな」
あっさりと浩竜は肩を竦めた。
あの船上において、浩竜は銃を手にする者にも怯まなかった。
踏み込む意思は強靭。
けれど、それが浩竜の武術ならば、諸刃の剣に思えた。
「相手よりも速く動く。それを可能にする秘訣が型にはある」
リセの腰を支え、手を構えさせた。
「敵の攻撃を受け流し、打ち込む。受け止めるでは無く、受け流すことで半歩速く攻撃に転ずることが出来る」
ゆっくりとリセと手合わせをしながら、浩竜は古武術を手ほどきした。
不意に浩竜は笑みを口に含んだ。
「どうしたの?」
「いや、西洋では男が女の手を取りすることと言えば、舞踏に興じることだというのに、何とも色気のないことだと思ってな」
「舞踏?」
「ああ、楽に合わせて踊ることで、互いの相性を確認するそうだ」
浩竜は徐にリセの手を取り、片膝を折った。
「騎士が姫の手の甲に口付ける。それが舞踏を申し込む礼儀」
これは、ただの戯れ。
なのにリセを見上げた浩竜の目は、とてもそうとは思えない眼差しにあった。
ゆっくりとリセの手に視線が移る。
浩竜の唇がリセの指先にそっと、落とされた。
リセは息を呑んで、片時も逸らすことなくその様を凝視していた。
尊いと感じたのは浩竜に対してであったのに、何故かリセの方が頂にいる姫である錯覚を起こした。
『Volo te』
騎士が姫に誓いの言葉を紡いだ。
今度こそリセにも浩竜の心は届いていた。
浩竜はリセを護るつもりなのだ。
だからこそ、こうしてリセに囚われてくれている。
「浩竜、ならば……ならば、姫はどうすればいいの?」
心を向けてくれた浩竜に、リセは何を返せるかが分からない。
嬉しいとも、悲しいとも違う。
ただ、何だか切なく、狂おしいほどの何かにリセは胸を詰まらせていた。
「誓いの口付けを騎士に返せばよいだけだが……要らない」
浩竜はあっさりと立ち上がってリセに背を向けた。
「い、要らないの?」
リセはまた浩竜の心が分からなくなってしまった。
戸惑いの渦中にいるリセを余所に、浩竜は逸って止まない心の蔵を抑え付けていた。
──あ、危なかった……まったく、いつも、いつも――。
抱かせねぇくせに、無防備なんだよ、こいつはっ!!!
「今日は此処までだ。医者の不養生など物笑いだ。夜更かしは禁物だな」
──な、何だ……。
浩竜は、ただ作法を教えてくれただけ。
診療所を後にする浩竜の背を見送りながら、リセは少しばかり胸を撫で下ろしていた。
リセは浩竜にリセという枷など付けて欲しくなかったのだ。
「浩竜はそのうち、大海原に戻って行く男だもの……」
眩しい大海――そこが浩竜のいるべき場所だ。
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