62人が本棚に入れています
本棚に追加
荒い足音で、長屋に走り来る者がいる。
その気配に気づいたリセは飛び起き、薬箱を手にした。後れて、荒々しく戸が開け放たれる。
「て、ていへんだっ!!!」
昼間に来た廓の下男だ。
どうしたことか、殴られたばかりの痣を幾つも拵え、酷い有様にある。
その状態で此処まで走って来たのか、彼は息を切らせて倒れ込んだ。
「浩竜、岡場所まで乗せて!」
男の説明を聞くよりも早く、リセは動いていた。
「あなたはそこで待っていなさい!」
戸に寄り掛かって、無理に立とうとしている男に命じて、リセは船着場に急いだ。
砲弾のように走るリセの後ろ背に向かって、男は声を張った。
「お、お香を助けてやってくれっ!!!」
リセを追い抜き、浩竜は先に船着場に辿り着く。
舟が出せるように舫を外し、リセが飛び乗る頃には既に川辺を離れていた。
「何が起きた?」などと、浩竜は悠長に訊かない。
リセに殺気に似た焦燥感を感じながら、ただ黙したままリセを逸早く岡場所に連れて行こうとだけ動いた。
そうこうするうちに、岡場所近くの船着場に辿り着いた。
「ありがとう。浩竜は戻って、彼のことをお願い。酷い怪我だったわ」
確かに無理に動こうとしていれば、危険だろう。
医師の顔をしているリセと僅かに視線を切り結び、何も語ることなくそれに従って浩竜は岸を離れた。
リセの背を見送りながら、リセの身の置く場所はやはり難儀な場所だと、浩竜は哀れにさえ思う。
それでもリセを突き動かすものが何なのか、浩竜はそれを見極めようとしていた。
最初のコメントを投稿しよう!