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それは先刻のこと。
夜の帳が降りるや、男は賑わい始めた岡場所の女郎らを冷かしていた。あくまでも男はそんな客を装っているだけだ。男の目的は別にあった。男の目は女を品定めしているようで、そうではない。
ふと、町医者が長屋に駆け込む姿を目の端に捉えた。それが何故か男に違和感を呼ぶ。
一体、何に?
最初は男装に扮している女医だからだと、素気無く腑に落ちた。
だが、すぐに違うと気付いて、顔を上げる。
――足音だ。
己の背後を過ぎたことにまるで気づかなかった。
足音がまるで無かったのだ。
「まさか……忍びの者か?」
男には心当たりに浮かんだ『見込み』がいた。
『見込み』とは、忍びの卵を指した。
「名は……忘れたな」
──だが、俺がいただく女だった。
それだけを覚えていた。
くノ一として男を仕込む御役目は、頭が任命するのが決まりだ。
大抵は任務で功績を上げた者に褒美として与えられることになっていた。
実際に見えたことは無かったが、見込みが美しい娘だとは噂に聞いていた。
事実として羨む者が多く、その御役目を賭けて刃を交わした数の多さには辟易していたほどだ。
けれど、男が御役目を放棄することは無かった。男の腕は確かだったのだ。
けれど、そんな男の気苦労を愚弄するように、見込みはその夜のうちに抜け忍となる。
「まさか……ここで会ったが百年目とやらか?」
屋根裏に男は潜み、リセを検めていた。
「美醜のほどはともかく、やはり……ただの町医者か?」
妙なところは窺えない。
──だが、医者としての腕はいいようだ……。
念の為に殺気を放って、かまをかけてみた。
梁にいる己に気づいた。
──驚いた……殺気を読んだか。
それどころか男の意図することを察して、リセは応じてしまったのだ。
男は愉悦に笑んだ。
──まったく、素直なものよ。
嬲ればさぞや甘い反応をするに違いないと、男は下卑た笑みを零していた。
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