~生きるも死ぬも縁の内

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 リセが連れて行かれたのは投げ込み寺の墓地近くにある四阿(あずまや)。 引き取り手の無い亡骸は、暗黙の了解で此処に投げ込まれるのが常だった。 僅かな金子を添えておけば、寺男が無縁仏として近くの藪に供養とは名ばかりに処分してくれるのだ。 「何を企んでいる?それとも、もう生きることを諦めたか?」 鉄錆の知るリセならば、このまま大人しく死を選ぶとは思えない。 ──こいつは、いつだっていっぱい喰わせる奴だった……。 その通りだった。 リセは終始無言のまま機を伺っていた。 ──先ずは短刀を奪い返さねば……勝機はない。 此処へ連れて来られる前に身を検められ、隠し持っていた唯一の武器を奪われていた。 「そんなに廓の連中が大事か?あれらに護る価値など無いだろうに……」 鉄錆は理解できないと、蔑みの目で肩を竦めた。 「へぇ、忍びに命の価値基準があったの?くふふっ、私はそんなことを考えたことは無かったわね」 リセは小首を傾げて嗤う。 鉄錆はたじろいだ。 そして、この眼だと鉄錆はかつて味わった敗北感を思い出す。    忍びとて人である限り、どんなに鍛錬を重ねても自我は必ずあるものだ。 けれど、リセの眼はまるで(から)だった。 まるで心を持たない人形を見ているような錯覚を覚える。 それは忍びとしては理想であった。 忍びは心に『無』の結界を張る。それで身体に覚える恐怖や苦痛から自我を守るのだ。 だが、人である限りそれは不可能なほどに難しく、およそ比喩に過ぎない。 けれど、リセはその『無』であることに長けていた。    天賦の才――リセに備わる忍びの素質に鉄錆は憧憬と怖れを抱いていた。 「お前はやはりあのリセだ。なぜ、抜け忍を選んだ?どうせ藤十郎を見殺しにするならば、あの場で刃を藤十郎に向ければ良かったのだ。お前には抜けずに済む道もあった」 「(とう)はリセがリセとして生きることを望んだ。藤の望みを私が望まない理由などあるものか」 「……馬鹿め」 才を棒に振る愚かさに鉄錆は苛立ち、それは忍びの誇りを愚弄する行為に等しいと憤る。 「死臭がする……。良かったな、どうやら独りじゃないようだぞ」 脅すように鉄錆がリセに告げる。 四阿には既に先客がいたようだ。 どうやら亡骸は女とみえる。 「これは夜鷹の遊女だな……これの何処が天下太平なんだ?聞いて呆れる」 可哀想に、白い手足が投げ出され、着物は全て剥ぎ取られていた。 鉄錆は冷ややかにリセを見下ろした。 「太平の世に忍びは要らないだと?」 それはかつて藤十郎が口にした言葉であった。 『太平の世が来たんだ。忍びである必要は最早無い。俺はもう、里を抜ける』 抜け忍となる意を固めたことを、藤十郎は里の者らに宣言した。 出し抜いて、ただ逃げれば良かったというのにだ。 なぜ敢えて命を張ったのか? それは、里の者らにも新たな道を切り拓いて欲しかったからではないだろうか? リセにはそう思えてならなかった。 鉄錆は、抵抗の出来ないリセの首を掴んで引き上げた。 ──くっ……! リセの足が空を掻く。 「ふざけるなっ!!!ならば、もう一度俺たちの手で戦乱に戻すまでよっ!」 小柄なリセの身体を近くの大木に向かって、力任せに投げ打った。 あばら骨の軋む音に、二本は確実にひびが入ったと知る。 ──馬鹿力め……。 だが、その一瞬の間でリセは己の短刀を錆鉄から掠め取っていた。 鞘を払い、身構える。 「ほぅ、やるな。だが、真っ向勝負で俺に勝てると思うなよ。それとも毒でも仕込むか?」 刃先は既に検められ、それもきっちりと拭われている。 「舐めるな!そんな隙を与えるかよっ!」 鉄錆の剛腕が風を切る。 握られた鋼鉄の鉤爪は、リセのか細い喉元などいとも絶やすく掻き切るだろう。 『怯むなっ!!!』――踏み込めと、浩竜の声がリセの脳裏に蘇る。 「ごめん、浩竜……それには修行不足だ」 リセは(ほの)かに笑った。 「!?」 リセの刃は鉄錆には届かない。 刃先は反転させられ、リセの心の蔵に深々と突き刺さっていた。 ためらいは無かった。 見間違うことなく鳩尾の少し上、そこは鼓動を止めたに違いなかった。 崩れ折れた身体に、鉄錆は虚しさを覚える。 「自刃したか……」 鉄錆は届くことのなかった己の拳を仕舞う。 かつての同胞に向けた想いはもう何も無かった。 鉄錆は闇に向かって背を向け、振り返ることなくその場を後にした。
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