エピローグ 天使なんかじゃない

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エピローグ 天使なんかじゃない

 私が、店のドアを開けて外に出ると、すぐ目の前に制服警官が立っていた。 「あ、終わりました。ありがとうございます」  私が言うと、若い警官は少し訝し気な表情で黙って(うなず)いた。  詳しいことは知らないが、JMAと警察はお互いに上層部で繋がりがあるらしい。  この警官もただ上司から言われたことに従っているだけで、私が何者であるかとかそういったことは知らないのだろうし、余計なことを()かないように言われているのだろう。  そして、私の言うことに従うように言われているのか、外で待っていてほしいという私の頼みに素直に従ってくれていた。  私はドアに鍵をかけた。すると、階段の上の道路の方から声が聞こえた。 「まさか死んじゃうとはなぁ」  男の声だ。 「ちょっとやめなよ怖いから」  こちらは女の声だ。どちらも私と同じくらいの年齢のもののように聞こえる。 「いやいやいや、見に行ってみようって言ったの自分じゃん」 「そうだけどさ……」  野次馬か何かだろうか。  私はそのまま会話を聞きながら、警官と一緒に階段を昇っていった。 「ねぇ、こういう場合ってお金とかどうなるの?」 「え?」 「ほら、圭介(けいすけ)が売った車のお金」 「あー、あれは、ローン会社とローン組んでる奴の問題だから。うちはとっくにローン会社から代金もらってるから関係ねーよ」 「そっか、じゃあ良かった」  階段を昇り道路に出てみると、そこで会話をしていたのは一組のカップルだった。  男の方がこちらを見て表情を強張らせた。それに気づいて女もこちらを見た。  警官がいるからだろう、二人は顔を見合わせるとそそくさと去って行った。      私は振り返って店を見下ろした。  私の見立てがあまかった。そのせいで……  完全に私の失態だ―― 「あのぅ……えーと、カミワ……ズミさん……?」   呼ばれて私が警官の方を振り返ると、警官は私の名前をメモした手帳を確認するように見ながら言った。 「大丈夫ですか?」 「え?」 「あ、いや……」  思いつめた表情でもしていたのだろうか。 「あー、大丈夫ですよ。すみません」  私が言うと、警官は頷いてもう一度手帳を見た。 「しかし、変わった苗字ですね。このへんじゃ見たことないな」 「あー、よく言われますけど。お巡りさんでもそうなんですね」  警官は、事件性はないという警察上層部の見解のはずなのに、こうしてどこの誰だか分からない若い女の護衛のようなことをさせられているのを疑問に思っているのか、何やら訊きたそうな顔をしてはいたが、実際にはそれ以上何も訊いてはこなかった。  きっと、私がこのビルの鍵を借りたりする際に、オーナーに話を通しやすくするための免罪符として、この警官は用意されたのだろう。 「あ、もう大丈夫です。あとは鍵を返しに行くだけなんで、ここで結構です。ありがとうございました」  そう言って私は警官と別れた。  私は店の鍵を返すため、ビルのオーナーのところへ向かおうと一歩踏み出した。  その瞬間、軽くめまいがして転倒しそうになった。  私は立ち止まって、しばらく深い呼吸を繰り返してから再び歩き出した。  JMAの幹部たちは、今回のことで私を責めることはしなかった。  は、狡猾(こうかつ)で自分の気配を巧妙(こうみょう)に消す。だから、どんなベテランでも騙されることは珍しくない。むしろ、私が無事で良かったと言ってくれた。  とはいえ、人の命をみすみす私は犠牲にしてしまった。  は私のことを、(うら)んではいないしむしろ俺を楽にしてくれた天使だ、というようなことを言っていたが、とてもじゃないが私は天使なんかじゃない。  むしろ、私はだけで、結局大したことは何もできておらず、に導くために、利用されたようにさえ思える。  もしかしたら、そういったの言葉も、私を油断させるために、に言わされたものなのかもしれない。  幹部たちからは、絶対に弱みを見せるな、と言われていたので、の話を聞いている間もどうにか気を張って毅然(きぜん)としていたのだが、その緊張がとけたせいか今はかなりの体力の消耗を感じる。  組織はに対して、大がかりな『浄化』をする必要があるということで準備を進めている。  美樹さんも麻衣さんも完全に私の目をごまかすための、言い方は悪いがフェイクに使われた。  は思った以上に厄介なようだ。    幹部たちの見解では、麻衣さんが普通に成仏できるまでそのままでいたのは、おそらくその、が麻衣さんにも気づかれないように潜み、彼女を泳がせていたのだろう、ということだった。  また、相性のようなものもあって、麻衣さんのような、私たちが『』とよぶ要素が多い霊の場合は、利用されることはあっても、の世界に引きづりこまれることは余程のことがない限りはない。  それは側からすると、自分たちの世界が(にご)るからだ。  だからは『』を好み、強い『』を持つ者を引き込むことは基本的にはない。  そして、美樹さんは悪いことに彼女の持っていた『』、つまり負の感情を利用されてしまった。  自死は自我を極限まで(めっ)しているので、からすれば非常に操りやすいらしい。  いや、もしかしたら彼女の自殺そのものさえ疑うべきかもしれない。  幹部たちが厄介だと言っていたのは、私たちのようなある種の能力がある者に対して、麻衣さんを呼び水に利用した可能性がある点で、そうなると何らかの魂胆(こんたん)のようなものがあるのかもしれない、ということだった。  なので、『浄化』は慎重かつ大がかりなものにはなるだろうが必ず解決させるのでもう気にしないように、と(さと)された。  しかしその言葉は、組織への感謝の気持ちと裏腹に、《彼》や美樹さんへの後悔の念として私の胸を突き刺す。  歩いていると、向こうから初老の二人組の男性が何か険しい表情で話しながら歩いてくる。 「ここ10年近く大丈夫だったんだけどな」 「爺さんの代からだろ。何人、あの土地で死んでるよ」 「しっ!」  一人が、すれ違いざまに慌てて会話を止めて私に声をかけてきた。 「あ、終わりましたか?」  突然、声をかけられ、私が驚いた顔で硬直していると、初老の男性が私の背後の方を視線で示しながら続けた。 「ああ、私、あのビルの――」  そう言われて、私は鍵を借りた相手の顔を思い出した。 「あー、ちょうど鍵を返しに行こうとしていたところです」  そう言って私は鍵を差し出しながら続けた。 「また、改めて連絡が行くかもしれませんが、その際はまたよろしくおねがいします」  私が言うと、なぜ、なのかが分かっていないからなのだろう、初老の男性は鍵を手のひらに乗せ、困惑したように目を丸くしていた。
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