第1話 黒いワンピースの女

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第1話 黒いワンピースの女

 あの妙な女が現れたのは果たして偶然(ぐうぜん)だったのだろうか――  ふと、そんなことを考えると、俺の頭の中でそれまでのことが目まぐるしくよぎっていった……  × × ×            客のいない薄暗い店内。カウンターテーブルの向こうでは木村がカールスバーグの(びん)に口をつけた。  一応、グラスも用意してやったのだが、木村はそれには手をつけなかった。俺がグラスを(みが)いている最中(さいちゅう)だからだろう。  スツールに腰をかけた木村の(そば)には、ギターケースと30リッターサイズのスーツケースが置かれていた。 「ホントに実家、帰るのか?」 「え? あー……まぁ」  俺の問いに、木村は後ろめたいというような歯切れの悪い返事をした。 「続けていく意味わかんなくなっちゃったんで……」  そう言って苦笑(にがわら)いを浮かべた。  その時、木村の(かたわ)らスーツケースがひとりでにゆっくりと(すべ)るように30センチほど動いたのが見えた。  俺が(いぶか)しげな表情でもしていたのだろう、木村は何か勘違(かんちが)いしたらしく謝った。 「すみません。店も()めてしまって……」 「あ、いや。なんかここ(かたむ)いてきてるのかな……?」  俺が言うと、木村はまた何か勘違いしたようで驚いた表情をした。 「いや、きっと一時的なだけですよ。ほら、美樹(みき)さん目当ての客が来なくなっただけ……」  木村は言いかけたのを(あわ)てて()めると、ごまかすように続けた。 「俺がいなくなったら、今度は逆にまた客が入るようになったりして」  そう言って木村は笑うと、そこで、俺の視線の先に気づき、自分の(かたわ)らのスーツケースを見た。 「どうかしました?」  木村は位置が変わっていることに気づいていないのか、特に気にする様子もなく、スーツケースのハンドルを(にぎ)って自分の方へ引き寄せた。  その時だった。  入り口のドアが開く音がした。  俺が振り返ると、ドアの所に黒いワンピースを着た、二十歳(はたち)くらいと思われる女が立っていた。  長寿(ちょうじゅ)と呼ばれるこの国では、俺もまだ若造(わかぞう)(あつか)いされることも多いが、若くして自分の店を持って8年経()ち、人間の人となり(・・・)にはある程度カン(・・)が働くようになった。  少なくともそれが客であるかそれ以外か、くらいは直感的に見分けられるようには……  彼女が客ではないことはすぐに分かった。   しかし、だからといって準備中を見計(みはか)らってやって来る業者の営業にも見えなかった。  ただ、俺はなぜか、厄介(やっかい)な者が来た、というそんな気がした。それは商売で(やしな)ったカンというのとは全く違う、本能的な拒絶反応(きょぜつはんのう)のようなものだった。  後になって思えば、俺自身が俺自身へ(はっ)した警告(けいこく)だったのだろう。    俺は(つと)めて(もう)(わけ)なさげな笑顔を女に向けた。 「すみません、まだ準備中なんですよ」  俺は言いながら、感慨深(かんがいぶか)い想いに(ひた)っていた。  そうか、もう8周年か。ということは……  来年は開店十年目になるのか――
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