第2話 築城前夜

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第2話 築城前夜

 俺は大学進学と同時に上京した。  一浪しての入学だった。  高校生の時から、自分はバンドでプロのミュージシャンになるものだと思いこんでいて、軽音サークルにも参加した。  しかし、三年生にもなると、同級生たちは意識を就職活動にシフトしていき、周りはほとんどが下級生で、あとは数人の同級生とほんの(わずか)かな年上の同級生と上級生になってしまった。  元々、大学に進学するつもりはなかった。  タクシーの運転手をしながら男手ひとつで俺を育てた父親が、自分が苦労したのは、(ガク)がなかったからだ、と言って、俺の大学入学資金を()めていることを殊更(ことさら)アピールし続けたため、それに(こた)えただけだった。  だから、父に文句を言われたくないがために、それまではどうにか進級できる程度に勉強もしていたのだが、何か目標を失ったような気分になってしまい、勉強にも身が入らなくなった。    そして、単位を落として留年が決まった日、俺は父には何も言わずに大学を辞めて当時のバイト先だったバーでそのままバイトを続けることで、どうにか東京に残っていた。    しかし、それからふた月ほどが過ぎた頃に父が事故で死んだ。俺の22歳の誕生日の10日後だった。      地元の県境(けんざかい)(とうげ)での単独事故だった。  どうやら夜中に長距離の客を乗せた帰りだったようで、居眠りをしてしまったのだろうということだった。    父とはちょうど、その3日前に電話で話したばかりだった。  俺は上京してからろくにこちらから連絡しなかったので、父も連絡をしてこなくなって(ひさ)しかったのだが、一週間遅れではあるものの、(めずら)しく俺の誕生日を祝う言葉をかけてきた。  だが続けて、俺が大学を退学したことで責め始めたため、口論(こうろん)になってしまった。  父が大学に学費を振り込んだことで大学から父に連絡がいき、俺の自主退学が発覚したのだが、俺はバレるのは時間の問題だと分かっていたので準備していた言葉を告げた。  元々大学に入学するつもりはなかった事や、自分はもう成人しているのだから自分の人生は自分で決める、そんなようなことだ。  結局、会話は平行線のまま無理矢理に俺は電話を切った。  そんな喧嘩(けんか)をしたばかりだったこともあり、事故で死んだと伯母(おば)からの電話で聞いた時、気が動転して理解が追いつかず、伯母相手に咄嗟(とっさ)詐欺(さぎ)か何かの電話だと思ってしまった。    いつからか俺の誕生日などろくに祝ったことなどなかった父が、べつに忘れていたわけではなかった事を知り、喧嘩をしたものの少し嬉しくもあった。  なのに、その三日後に死ぬなんて。そんな事あるのか、と何か因縁(いんねん)めいたものを感じたりもした。  葬式で、数少ない親族(しんぞく)である伯母から事故の状況を聞いた。    事故現場は、ダムの貯水池(ちょすいち)沿()いのカーブで、父のタクシーはガードレールを()(やぶ)り、その先のワイヤーにひっかかっていたらしい。    伯母は、もう少しスピードが出ていたらダムに落ちて水の底だったかもしれない、と震える声で興奮(こうふん)するように言っていたが、それに対して伯母の夫は、あそこはカーブ続きだから貯水池に届くような勢いがつくほどスピードは出せねーよ、とどうでもいいことを正していた。  俺にはいくばくかの遺産(いさん)保険金(ほけんきん)が入った。  そして、それを元手(もとで)にライブバーでも開きたいという漠然(ばくぜん)とした目標が頭に浮かんだ。  そうして、23歳の時にこの小さなライブバーを開いた。  表の道路から地下に階段で降りたテナントは、内覧(ないらん)時に少し下水の(にお)いが気になったので、それを不動産屋に言うと、入居(にゅうきょ)前のクリーニングでほとんど消える、と言った。    それでも俺が迷っているのを見て、不動産屋は(すで)に相場の90%くらいだった家賃をオーナーと交渉して更に5%下げさせた。    俺は契約(けいやく)する事にした。
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