終幕 天使だったのかもしれない――

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終幕 天使だったのかもしれない――

 晴れやかな気分は、あの女がへんな儀式を行った日から二日ほどだけで三日後にはもう消え失せていた。  それどころか、日に日に俺の顔は嘘のように土気色にやつれていき、一週間ほどした朝には、鏡に映る俺の顔がに見えるようになった。  もう、10日ほど寝ていないように思った。本当に寝ていないのか、寝ていないような気がするのか、そういった認識もよく分からなくなっていた。  自分の顔を見るのが怖くなり、スマホも顔が画面に反射して映るため、しまい込んで持たなくなった。  客も来ないので店を休もうと思うのだがなぜか休めなかった。  そう、休めなかった、というのが正しい。  休もうと思っても、店に行かなくてはという、何か脅迫観念(きょうはくかんねん)みたいなものが湧き上がってきた。  習慣がそうさせるとかそういったことではなかった。  店に行かないとダメだったのだ。そう、ダメなのだ。何がダメなのか?  いや、分からないが行かないといけない。    そうとしか言いようがなかった。  店の中はひどい有様だった。  壁にかかった酒メーカーのノベルティの鏡やトイレの鏡などはもちろん、酒瓶やグラスなど、俺は自分の姿を映すものは全て粉々にしていた。  俺はカウタンーに座りながら、女の名刺を眺めていた。  連絡してみよう、そう思って(かたわ)らのノートPCを引き寄せて開いた時だった。真っ黒な画面に恐ろしい顔が映っていた。  まだここにも!  俺はノートPCを床に叩きつけて破壊した。  もう限界だった。  そうだ――  俺は、頭の中で女が最後に言った言葉を思い出して繰り返した。  あなたのできることをしてください。あなたのできることをしてください。あなたのできることをしてください。あなたのできること、あなたのできること、あなたのできること――  俺は立ち上がり、カウンターの裏にまわって()え置きの電話の受話器を取ると、プッシュボタンの1を押した。もう一度1を押し、そして、0を押そうとしたその時だった。  ふと気配を感じて顔を上げた。  ちょうど正面、ステージのところに美樹が立っているのが見えた。  俺にできること……そうか……  俺は、美樹の待つステージへ向かって歩いた。その途中、ふと美樹が何か黒い(かたまり)を抱いていることに気づいた。  俺は美樹が抱えているその黒い塊が重そうだったので、それを下ろす場所を作ってやろうと客席から椅子を一脚(いっきゃく)手にした。  俺は美樹の前に行くと、その(かたわ)らに椅子をそっと置いた。  美樹は微笑み、俺を優しく迎えてくれたので、俺は安堵(あんど)して微笑み返し、美樹が抱えている塊を椅子に置いてやろうと手を差し出した。  その時、その黒い塊が胎児(たいじ)のような形をしているのに気づいた。  その瞬間だった。  その黒い胎児が黒い(きり)のようになって俺の顔面を(おお)った。  目の前が真っ暗で何も見えなくなった。  何かが俺の首に巻きついた。  そして、体がふわっと宙に浮いたような感じがしたかと思うと、首の骨が折れそうな、喉仏が潰れそうな、そんな力で一気に締めつけられて呼吸もできなくなった。  だが、不思議と苦しさは感じなかった。  ただ、それとは無関係のように俺の体は勝手にもがき、手は必死に首に巻きついたものを外そうとした。  手に触れたそれは細い紐のようなもので、その表面のゴムの感触には憶えがあった。  俺は頭の中、そう、意識が真っ黒に塗り潰されるように消えていくのを感じながら思った。  あの妙な女が現れたのは果たして偶然だったのだろうか……  もしかしたら、俺がずっと密かに抱え続けていた様々な悩みや使命感、苦しみから解放してくれるために現れた、天使だったのかもしれない――
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