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元気そうに見えて、けっこう病んでるーーー。
シュウちゃんの言ったその言葉は、あたしの胸の中にすっと入って、布が水で濡れてゆっくりと湿って広がっていくように、あたしの中にもしっとりじっとり広がっていった。
それが実情だろう。
笑って、はしゃいで、キラキラしているその裏には、ひっそりとたたずむ影も存在しているに違いない。
光と影ーーーーーーーー。
大きな光、小さな光。
小さな影、大きな影……ーーーーー。
あたしは、静かに窓の外を見た。
放課後。
コンコン。
誰かが相談室をノックした。
と、途端にドアの向こうから元気なハツラツとした男の人の声。
「赤羽先生!3年の体育担当、そして学年主任をしている白石ですっ」
「あ、は、はいっ」
あまりの威勢のいい声に、デスクで事務整理をしていたあたしは、思わず慌てて起立してしまった。
「お疲れ様です!今、大丈夫ですか?」
ドアを開けると、ガタイのいい長身の白石先生が頭をカシカシかきながら、どーもどーもといったカンジで頭を下げながら笑顔で立っていた。
「お疲れ様です。はい、大丈夫です。どうぞ」
あたしは、笑顔で白石先生にソファを勧めた。
「恐縮です!」
いかにも体育会系といったカンジの白石先生は、そのイメージどおり、上下ジャージを着てキビキビした動きで、そしてものすごく礼儀正しい。
ソファに座る姿もピッと背筋を伸ばし両手は軽くこぶしを握り膝の上。
その姿は、なんだかまるで運動部の男子学生がクラスの集合写真を撮る時にちょっと緊張してかしこまっている風貌で。
あたしは思わず、ぷっと吹き出してしまった。
「あ、あれ?どうしました?」
白石先生が、真顔であたしを見る。
そんな白石先生がますますおかしくて。
あたしは笑いをこらえながら言った。
「すみません。白石先生があまりにもきちっと立派な立ち居振る舞いをされているもので……」
「え?」
「なんか、すごーく体育会系なカンジで。まるで運動部の男子学生みたいで……。なんだかおかしくてつい……。あ、いい意味でですよ?」
「あーー。そういうことでしたか!いやぁ、お恥ずかしい。赤羽先生のおっしゃるとおり、自分は昔からずっと剣道や空手などやっておりまして……。ちなみにですが、赤羽先生と初めてお話ししているので。その緊張もいくばくか……」
白石先生が、かすかに顔を赤くしながら頭をガシガシかきながら笑った。
「いえ。白石先生が真っ直ぐで誠実でとてもいい方なんだな、ということがよくわかりました。なんだか癒されました」
あたしが笑顔で言うと、白石先生がパッと顔を輝かせて満面の笑みを見せた。
「ホントですか?いやぁ、赤羽先生にそんな褒めてもらえるなんて光栄です!ありがとうございます。いやぁ、今日はいい日だなぁ」
「白石先生、大げさです」
2人でひとしきり笑ってから、あたしは話を本題に戻した。
「ーーーそれで、今日はなにか……」
「ああっ。そうですそうです。実は、さっそくではあるんですが、少し気になる生徒がいまして。その生徒のことで、ちょっと赤羽先生に相談したいことがありまして………」
「なるほど。それはどういった……」
「僕のクラス3年E組の、百瀬春子という生徒のことなんですが……。2年になった頃から、不登校気味でして……」
「不登校……ですか」
あたしは、本棚から3年E組の個人名簿を取り出して、百瀬春子を探した。
パラパラ。
ページをめくっていくうちに、伏し目がちな個人写真の百瀬春子の名簿が出てきた。
この子が、百瀬春子ーーーー。
キレイな子だな。
「なんとかギリギリの出席率で3年まで進級できたんですが……。2年の後半あたりから、学校に来る回数が極端に減ってきましてね……。なにせ電話をしても出ないですし、留守電にもならずで。家の方にも何度か訪ねてはみたんですが、誰もいないといったカンジで……」
「母親は家にはいないんですか?」
「どうやら共働きのようです。こちらで確認できる番号は家の電話番号のみで、母親はケータイ電話は持っていないようです」
共働きか。
今や、共働きの家庭は珍しいものではないし、家庭内でのコミュニケーションもきちんと取れていれば、なんら問題はないのだが。
こんな風に不登校気味の生徒にとっては、あまりいい環境とは言えないかもしれない。
あたしは、百瀬春子の名簿に目をとおす。
この個人名簿は、担任から見た生徒達の性格、特色、環境など、生徒に関する情報が書かれているカウンセラー用の特別名簿である。
百瀬春子、4つ離れた姉ひとり、父親は単身で海外に出張中……。
「……あれ。彼女、とても勉強ができる子なんですね」
あたしは、百瀬春子の成績を見て驚いた。
「はい。百瀬はとても優秀な子です。本気を出せば、名門のT大にも行ける力を持っています。ただ……今の状況ですと、卒業も危ういといったカンジです。ですから、どうにか学校に来てもらいたいんですが………」
白石先生が残念そうに頭をかく。
「不登校になった原因はご存知なんですか?」
「それが全くわからないんですよ。そこにも書いてあるように、確かに百瀬は明るく活発な生徒……というよりは、どちらかというとおとなしめの雰囲気の子ではありましたが……。親しい友達もいたようですし、見てのとおりキレイな子なので、男子からもけっこうモテたりもしてましたから。孤立していたふしもないんですよね……」
「イジメとかは……」
あたしの質問に、白石先生がすぐに答えた。
「僕も最初はひょっとして……と思い、いろいろ調べてみました。でも、イジメを受けていた気配もないようです。大概の場合、不登校になる生徒の主な原因は、イジメや孤立などが多いのですが……。百瀬の場合は、本当に原因がわからなくて……。正直どうしたらいいのか困り果てていたところです」
「そうだったんですか……」
「以前にもスクールカウンセラーの先生がいらした時期もあったんですが、僕らよりももっと年配の男性で。実際、生徒達がなついて悩みを打ち明けに行ったり、相談しに行ったり……といったカンジはなくて。その先生もすぐにいなくなられたんです。そして、しばらくの間はこの相談室も空いてる状態で。そこへ、この春からあなたがやって来てくれて。正直心強く思っています。きっと赤羽先生なら、生徒達とも打ち解けて、生徒達の心をつかんでくれると……」
「ありがとうございます。どこまで生徒達と本音で向き合えるかわからないですけど、できる限りがんばりたいと思っています」
「いやぁ、本当にありがたいです。この学校も平和そうに見えて、実際は僕らのわからないところでいろいろあると思うんです。きっとどこの学校でもそうだとは思うんですが……」
白石先生が、小さくうなずきながら言った。
「そうですね……。あたしが高校生だった頃も、周りでいろいろありました。あたし自身は、ありがたいことに友達にも先生にも恵まれ、そんなに深刻に悩むような性格でもなかったので、それなりに楽しい学校生活を送ってはいたんですけど……。でも中には、様々な悩みや不安を抱えている生徒達もたくさんいると思います。なので、少しでもそんな生徒達の話し相手にでもなれたらなって思ってます」
「僕も、赤羽先生と同じで割と楽しい学校生活を送ってきた人間なんで。ヤローどもとわいわいバカやりながら。だからこそ、ここの生徒達にもそんな風に仲間と時にはバカやりながら、楽しい思い出がひとつでも多く残るような学校生活を送ってほしいと思うんです。だから、百瀬や他にもなにか悩んでいる生徒達のことを一生懸命わかりたい、話し合いたいとがんばってはいるんですが……。どうもうまくいかないみたいで……」
小さなため息をつきながらうつむく白石先生。
あたしは、そんな彼を見て嬉しくなった。
例えうまくいかなくても、白石先生は一生懸命生徒達と向き合おうとしている。
その気持ちがとても大切だと思う。
「白石先生、あたしもですよ。スクールカウンセラーと名乗りながらも、実際、生徒達の役に立てるのかすごく不安です。でも、あたしなりに精一杯やってみたいと思っています」
あたしは、笑顔で白石先生に言った。
「……よかった。あなたのようなステキな方がこの学校に来て下さって。あ、少し話がそれてしまいました。それで、百瀬春子のことなんですが……」
「はい、大丈夫です。彼女と直接会って話してみたいと思います。彼女の自宅に行ってみます。まぁ、一筋縄ではいかなそうな予感はするので、少し時間はかかるかもしれませんが……」
「ありがとうございますっ。そうしていただけると本当に助かります。百瀬も、なにか悩み事があるとしたら、僕より同じ女性であるあなたの方がきっと話しやすいと思うので……」
白石先生が、嬉しそうに胸をなでている。
「はい、なんとか彼女の胸の内を聴いてみたいと思います。なにか進展がありましたら、その都度白石先生にご報告しますので」
「ありがとうございます。じゃあ、よろしくお願いしますっ」
ペコッと頭を下げると、白石先生は元気よくドアを開けて出て行った。
スクールカウンセラー始動。
最初の生徒は……百瀬春子、か。
あたしは百瀬春子の個人写真を見つめ、そっと名簿を閉じた。
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