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第一章 自殺同盟
新道新が初めて死体を見たのは五歳の秋頃だった。
祖父が寿命で亡くなり、火葬場の棺の中に祖父の死体が収められていたのが最初のことだ。当時はまるで眠っているようであり、死んでいるとは思えないくらい綺麗な顔で死んでいた。両親からは永遠に眠っていると教えられたが、幼かった新は死に対して深く考えていなかった。
何故ならまた時間が経てば起きると勝手に解釈していたのだ。だが、火の中に死体が入れられ、骨だけになった時は恐怖を感じたことは新の記憶に焼き付いている。先ほどまで綺麗に眠っていたのに数時間後には骨しか残っていないのが信じられなかった。当時、初めて死に向き合った瞬間である。あまりにも衝撃的な出来事に新は気が動転していた。
ここで尋ねたいのは一生のうちに死体を何回見たことがあるか、である。
死体の発見。とにかく死体を見た数である。
多くの人の殆どは数回程度と答えるだろう。中には見たことがないと答える人もいるかもしれない。その中で新は他人からしたら多いと驚かれるかもしれない。
その数は二十四人。
この数が多いと思うか少ないと思うかは人それぞれだと思う。
例えば、医者や警察や消防隊など死と向き合う職場の人からすれば二十四という数は少ない方かもしれないが、一般人が目にする数だと言えば異常ではないだろうか。
一生というと新はまだ二十五歳なのでこの先も人生があるとしたら途中経過にしか過ぎないが、この歳でこれほどの死体を見ることは限りなく多いのではないだろうか。計算上、一年に一度のペースで死体を見ることになる。
勿論、新は医者でも警察でも消防隊でもなく普通の一般人だ。全く自慢にもならず、むしろ人に話すと怖られる。「お前が殺したんじゃないか」と茶化す者もいるくらいだが、そんな物騒なことはするはずもない。全ては偶然だ。言ってみれば新は死神なのではないかとも思ってしまうくらい偶然だ。
死神とは文字通り、生命の死を司るとされる伝説上の神のこと。
その力が新の中にあるのではないか、と言う疑問だ。本人もいくつか思い当たる節がいくつかある。
そのシーンは自殺や事故が数を占めていた。どの死体も同じような死に方ではなく一体ずつ違っている。死の数だけ死因や死に方がそれぞれ違う。幸いにも殺人の場面に遭遇したことはない。同級生や家族など身近な人が亡くなることも半分以上見てきた。街中で交通事故を目撃することもよくあった。死ぬ瞬間を目撃したり、第一発見者になったりする。最もトラウマになることは死の直前に新と目が合ったことだ。どういう思いで新を見ていたのか分からない。ただ、新は何もしてやれない。見ないでほしいと願うしかない。それでも、この先も新は死体を見ることになるだろう。体質なのか、偶然なのか分からない。体質だとしたら新は文字通り死神だ。忘れたいはずなのにご丁寧に死体を見た数をしっかり覚えている新自身も不気味だが、どうしても頭から離れない。どれだけ記憶から消し去ろうとしても目を瞑ると映像として蘇ってしまうのだ。それくらい死というものは印象に強く残ってしまう。
悪夢だった。もうこんな思いをしたくない。そして、新はある結論に辿り着いた。
だったら自分が死ねばいい。存在することで他人に災いを及ぼすのであれば居なくなった方がマシだ。
それぞれの死体を語るとなれば難しいが、これだけは強く頭に残っている。
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