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一枚の写真~新京
昭和10年、満州中央銀行本店。
伊藤良三は満州中央銀行設立当時から勤めていた叔父の誘いを受けて満州に働きに来ていたのだった。
良三は当時日本では小学校の教員をしていたから、特に生活に困っていたわけでもなく満州国への渡航というのは、叔父の一途な頼みの結果であるとも言えた。
満州国の拡大路線に乗って銀行の業務も忙殺していたのだった。
とはいえ、良三としても折角得た教職の座を捨てる決心もつかず、取りあえず少し間、様子を見ようということになったらしいのだ。
日本も、先の戦争でロシアを打ち破り好景気に沸いていた、そんなところに降ってわいたよう話だったのだ。
良三は学校に長期の休暇願いを出すと、浮かれるように満州国へやって来たのだった。その際、妻と転校の支度をした小学校3年くらいの子供を一人、伴っていたことは、良三にも少なからず覚悟のほどがうかがえたことだった。
さて、
良三たち家族は、満州国大連の港に到着すると、満州鉄道、通称満鉄で一路、満州国の首都であった新京特別市に向かった。途中奉天で乗り換えての二日の行程だった。
一行は新京に着くと大和旅館と書かれた満州国で一番立派なホテルに通された。すべては叔父の計らいだった。開拓団のような出稼ぎのような人たちとは事情が違い、かなりのVIP待遇だったようである。
良三はおかっぱ頭の着飾った娘のマツの手を引いてホテルの部屋に入ると
「明日から新しい学校へ行こうね」とマツに言い残すと自身はちょっと銀行に行ってくると言って一人で新京の街に出ていった。
この日本とも異国ともつかない満州国はまた空前の好景気に沸いていた。
マツの母親は船から届いた荷物の整理をしていた。
テーブルには新京白菊尋常小学校と書かれた冊子が置かれていた。
窓の外はそろそろガス燈の灯りが灯り始める頃だった。
つづく
©️2021 keizo kawahara
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