五日目、放課後デート

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「……揺の名前は、どういう意味なんだ?」  話を逸らしたな。と思ったけれど、あまり責めるのも可哀想だから、私は真面目に答えた。 「揺れるって意味だよ。うちの両親、二人とも海が好きで。私がお腹にいたときも、よく見に行ってたんだって。揺れる水面が、ずっと見ていたくなるほど綺麗だったらしくて。ちょっと変な名付けだよね」  そう苦笑するけれど、彼は笑わなかった。 「そうか。名前の通りだな」 「何が?」 「揺は、ずっと見ていたくなるほど綺麗だ」 「なんで……」   どうしてそんなふうに言ってくれるの?  どうしてこんなにも胸が苦しいんだろう。  こんな気持ち、悠くんは教えてくれなかった。  幸せと痛みが、いっぺんに心に押し寄せて、かき乱されて、自分ではどうすることもできない。  こんな感情、生まれて初めてだ。 「揺!これはなんだ?」  私の困惑には気づかずに、彼はまた街見物を始めた。レイが指差したのは、マイクの絵が描かれているカラオケ屋の看板だった。 「ああ。カラオケだよ。皆で歌うとこ」 「?なんだそれは。歌なんて、どこででも歌えばいいじゃないか」 「まあ、そうだね。だけど人間は、然るべき状況じゃないと歌えないものなのよ」 「面白いな!」  彼は人間の滑稽さに笑った。私も確かに面白いな、と笑えてくる。 「行ってみたい」  彼がそう言うので、カラオケ屋さんを案内することに。通されたルームは、ちょうど海底をイメージしたコンセプトなのか、壁やソファは青一色で、所々に魚や亀が描かれている。  彼はとても喜んで、お決まりの物色が始まった。早速スピーカーにマイクを当ててハウリングなんか起こしたりしている。  だけど私は彼とは反して、変に意識をしてしまい落ち着かなかった。  少し暗めの照明の、狭い部屋に二人きり。  男の子と二人でカラオケに行くなんて初めてで(しつこいですが悠くんとなら脳内で30回くらい行った)、同じソファに座っているだけでソワソワする。 「揺……」 「は、はい!?」  急に至近距離で見つめられて、声が上ずってしまった。 「何か歌ってくれ」  そう言って彼はマイクを手渡した。 「え!?やだよ!レイ先に歌って!」  そもそも人魚って歌えるんだろうか。でも彼には歌の概念があるってことだから、きっと歌えるんだろう。 「俺の知ってる歌、あるかな?」 「なんて歌?」 「%&#★◎∋$~」 「ご、ごめん、わからない……」 「あ、あの歌なら知ってるぞ。よく海の上で人間が歌っているのを聞いていた」 「なんの歌?歌ってみて!」  私は胸を踊らせた。人魚の、……レイの歌声を聴いてみたかった。 「うーみーはーひろいーな、おおきーいーなー つーきーがーのぼるーしーひがしーずーむー」  彼の歌は、お世辞にも上手いとは言えなかった。だけど私は、すぐに虜になってしまった。ひんやりとした体から出ているなんて思えないほど、温かみのある声だ。  それに、海という歌がこんなにも素敵だと思ったのも初めてだった。  広大な海の上、月が昇って、日が沈んで。それがどれほど素晴らしいことか。彼と一緒に居ると、なんてことのない物事がとてつもなく大切だと気づかされる。 「ゆーれーてーどこまーでー つづくーやーらー」  彼の声を、ずっと聞いていたいと思った。  彼が声を、失うのなんて考えたくもない。  
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