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「……揺の名前は、どういう意味なんだ?」
話を逸らしたな。と思ったけれど、あまり責めるのも可哀想だから、私は真面目に答えた。
「揺れるって意味だよ。うちの両親、二人とも海が好きで。私がお腹にいたときも、よく見に行ってたんだって。揺れる水面が、ずっと見ていたくなるほど綺麗だったらしくて。ちょっと変な名付けだよね」
そう苦笑するけれど、彼は笑わなかった。
「そうか。名前の通りだな」
「何が?」
「揺は、ずっと見ていたくなるほど綺麗だ」
「なんで……」
どうしてそんなふうに言ってくれるの?
どうしてこんなにも胸が苦しいんだろう。
こんな気持ち、悠くんは教えてくれなかった。
幸せと痛みが、いっぺんに心に押し寄せて、かき乱されて、自分ではどうすることもできない。
こんな感情、生まれて初めてだ。
「揺!これはなんだ?」
私の困惑には気づかずに、彼はまた街見物を始めた。レイが指差したのは、マイクの絵が描かれているカラオケ屋の看板だった。
「ああ。カラオケだよ。皆で歌うとこ」
「?なんだそれは。歌なんて、どこででも歌えばいいじゃないか」
「まあ、そうだね。だけど人間は、然るべき状況じゃないと歌えないものなのよ」
「面白いな!」
彼は人間の滑稽さに笑った。私も確かに面白いな、と笑えてくる。
「行ってみたい」
彼がそう言うので、カラオケ屋さんを案内することに。通されたルームは、ちょうど海底をイメージしたコンセプトなのか、壁やソファは青一色で、所々に魚や亀が描かれている。
彼はとても喜んで、お決まりの物色が始まった。早速スピーカーにマイクを当ててハウリングなんか起こしたりしている。
だけど私は彼とは反して、変に意識をしてしまい落ち着かなかった。
少し暗めの照明の、狭い部屋に二人きり。
男の子と二人でカラオケに行くなんて初めてで(しつこいですが悠くんとなら脳内で30回くらい行った)、同じソファに座っているだけでソワソワする。
「揺……」
「は、はい!?」
急に至近距離で見つめられて、声が上ずってしまった。
「何か歌ってくれ」
そう言って彼はマイクを手渡した。
「え!?やだよ!レイ先に歌って!」
そもそも人魚って歌えるんだろうか。でも彼には歌の概念があるってことだから、きっと歌えるんだろう。
「俺の知ってる歌、あるかな?」
「なんて歌?」
「%&#★◎∋$~」
「ご、ごめん、わからない……」
「あ、あの歌なら知ってるぞ。よく海の上で人間が歌っているのを聞いていた」
「なんの歌?歌ってみて!」
私は胸を踊らせた。人魚の、……レイの歌声を聴いてみたかった。
「うーみーはーひろいーな、おおきーいーなー つーきーがーのぼるーしーひがしーずーむー」
彼の歌は、お世辞にも上手いとは言えなかった。だけど私は、すぐに虜になってしまった。ひんやりとした体から出ているなんて思えないほど、温かみのある声だ。
それに、海という歌がこんなにも素敵だと思ったのも初めてだった。
広大な海の上、月が昇って、日が沈んで。それがどれほど素晴らしいことか。彼と一緒に居ると、なんてことのない物事がとてつもなく大切だと気づかされる。
「ゆーれーてーどこまーでー つづくーやーらー」
彼の声を、ずっと聞いていたいと思った。
彼が声を、失うのなんて考えたくもない。
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