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事の起こりは、高山地帯の寒村における雪女による被害の続発にあった。
こうした地域では従来、地元の猟師による雪女の駆除が定期的に行われていたが、近年になって若者が都市部に流出、これに伴う住民の高齢化により、駆除が追いつかなくなっていたのである。
雪男のような強靱な筋肉を持たない雪女は一見するとか弱く見えるが、その皮膚からは人間の交感神経系を狂わせる毒物が分泌される。この毒物は分泌後に固化し、雪女の皮膚が風に曝された際に粉末状になって飛散する。雪女が風上から人間に近づく習性を持つのは、この毒物を効果的に利用するためである。
獲物となる人間に向けて風により飛ばされた毒の粉末は、肺や気道の粘膜、更には皮膚からも人間の体内に侵入する。そしてその体温調節機能を停止させ、最終的には凍死に至らしめるのである。雪女が凍てつく風で人間を凍死させるという伝説は、ここから来ている。
ある調査によれば、この地域における雪女の食事の実に七十パーセントが、このようにして仕留められた人間で占められているとのことであった。
このような雪女による捕食事件の頻発に耐えきれなくなった地元住民達は、政府に対し、雪女の大規模な駆除を求める嘆願を行った。
しかしながら雪女被害の実感に乏しい都市部では外観が人間に近い雪女の駆除を忌むべき行為と見る者も多く、折悪しく雪女の子供を主人公とする映画(劇中において、主人公の母親は人間の手で焼き殺される)が人気を博していたこともあり、駆除に対する反対運動が巻き起こった。
この反対運動の後押しを受けた議員が「雪女は多少性質の違いはあれどヒトであり、他の動物とは異なり人権を考慮すべき存在である」と主張したため、政府は雪女の生物学的調査を行うことを決定した。
その担当者として任命されたのが、チェスターフィールド博士である。
チェスターフィールド博士は現地に赴いて雪女の生体サンプルを回収し、これらの遺伝子解析を行った。また、雪女の細胞内に含まれる酵素が低温条件に最適化されていることを彼が発見したのもこの時である。
サンプルを集めるチェスターフィールド博士のもとには、村の住人達がかわるがわる訪れ、政府に対して雪女の駆除を後押しする報告をしてくれるよう懇願したという。中でも熱心だったのは村の小学校教師だった若い女性で、彼女は雪女に殺された自らの教え子の写真をチェスターフィールド博士に見せ、村の子供達を守るため協力してくれと必死で訴えたそうである。
チェスターフィールド博士が遺した日記には、「雪女の正体について、例えば『人間に擬態しているだけの節足動物だった』とかそういった報告をしていただければ、駆除反対活動も下火になるでしょうし、そうなれば村の子供達も救われます」と言われたとの記述がある。
しかしながら村人達の期待に反し、遺伝子解析の結果は雪女が人間に極めて近い生物であり、分類上はヒト属に含まれることを示していた。そしてチェスターフィールド博士は、この結果を正直に報告した。
この報告により駆除反対派の勢いは強まり、政府内で議論が紛糾しているうちに、件の村では雪女による新たな犠牲者が出てしまった。
チェスターフィールド博士が殺されたのは、その翌日のことである。職場に押し入ってきた犯人によって、雪女駆除用の火炎放射器で炎を浴びせられたのだ。
犯人は、件の村の教師であった。裁判において彼女は、「教え子がまた一人死んでしまったのは、あの冷血漢のせいだ。殺したことに後悔は無い」と証言したという。
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