雪女の遺伝子解析を行ったチェスターフィールド博士は、果たして冷血漢だったのか?

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 後にこの事件は映画化もされ、そこではチェスターフィールド博士は、村人の必死の懇願を冷たく突っぱねる非情な人間として描かれている(皮肉なことに、この映画の配給会社は前述の雪女を主人公とした映画と同じであった)。  しかしチェスターフィールド博士がありのままの事実を報告したのは、彼が冷たい人間だったからだろうか? 私は、そうは思わない。  科学が決められるのは「事実が何であるか」であり、「どうするべきか」を決めるのは科学の役割ではない。この件で言えば、科学者であるチェスターフィールド博士の役割はあくまでも「雪女は人間の近縁種であるか否か」という事実関係の判定であり、「雪女の駆除を実行すべきか」という判断は政府の役割であった。  無論、判断するにあたって考慮しておくべき情報を科学は提供することができるが、ならばその情報は事実でなくてはならない。「事実をありのままに伝えれば相手は正しい判断ができなくなるだろう。むしろ嘘を教えた方が正しい判断ができるはずだ」などと考え、あえて偽りの報告をするのは判断の主体をあまりにも馬鹿にした行為である。  また、科学者が自分の考える〝正しい判断〟に本来の判断主体を誘導するため嘘偽りを述べるのであれば、それは「どうするべきか」について判断する権限の不当な簒奪に他ならない。  この一件においてチェスターフィールド博士は、そのような不当な行為に手を染めなかった。彼はあくまでも「事実が何であるか」を判断するという科学者としての領分を守り、自らの役割を誠実に全うしたのだ。  冷血漢と呼ばれることになろうとも真実に忠実であろうとしたチェスターフィールド博士――そんな彼に恥じない生き方を、私自身もしたいと考えている。  今このようなことを言うのは、私が現在、ある大物科学者の研究不正疑惑について調査を進めているところだからである。証拠は既にほぼ出揃っているが、かつて異世界分子生物学会の年会長も務めたこの人物についての真実が全て明らかになれば、異世界分子生物学会自体の権威失墜も避けるのは難しいだろう。   しかしそれでも私は、きたる二月二十二日の総会において、私の知り得た全てを報告したいと考えている。  真実に忠実であったチェスターフィールド博士が、そうしたように。                アデリー・シュレーゲル(王立研究公正局)
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