動揺

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壁際のベンチで、足をブラブラ揺らしながら、背中は壁に預けて、少し上気した頬がピンク色に染まっている。珍しく眼鏡のない顔は相変わらず彫刻みたいに整っているけれど、今は酔っているせいか笑み崩れている。一瞬息の仕方を忘れるくらいに、キレイだった。 とろん、と潤んだ瞳が俺を捉えた。俺は、捕らわれた。 心臓を鷲掴みにされる、あの笑顔。わずかに見開かれた瞳がゆっくりと三日月の形にしなって細められると、同じタイミングで口唇が弧を描く。そんな無防備な笑顔されたら、勘違いしそうになる。俺に逢えて嬉しそうに見えるなんて、そんなの都合のいい幻覚だ。もしかして俺、酔ってる? 彼はいつものように、久し振り、とゆるく手を振った。地元にいるからか、標準語よりも訛りの強いイントネーションでゆったり話す低い声が耳に心地いい。ずっと聴いていたい、ずっと見ていたい。心が、溢れだしそうだった。 早く、立ち去らなきゃ。適当に、おぉ、と軽く手を振り返して歩き去ろうとした俺に、何を思ったか彼が手を伸ばした。すると、バランスを崩した身体が前のめりに傾いて、ベンチから腰が浮いた。 危ない、と咄嗟に腰を屈めて抱き止めようとした瞬間、首に絡みつく腕。鼻先を掠める甘い花の香り。彼の長すぎる睫毛が、何故か目の前に、と思った瞬間には口唇が塞がれていた。
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