櫻花貿易公司 東京本社 総経理 佐々木将太

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 兄が学校をやめると言い出したのは大学一年生の終わりごろだった。 「やめてどうするんだ?」  困惑顔の父親が当然の質問をした。 「今から考える。でも今の大学でやりたいことも学びたいことも見つからないんだ」  難しい顔をして答えた兄は二年になる前に休学届を出し、それからアルバイトに明け暮れていた。  そしてある日突然、言い出した。 「中国に留学したい」  両親も俺もあっけにとられた。それまで兄の口から中国なんて単語が出たことは一度もなかったからだ。 「留学はいいとして、どうして中国なんだ?」  数年前に天安門事件があって、どちらかと言えば怖い国だと言う印象だった。  留学するなら普通は欧米だろう。でも兄は今さら欧米に留学なんて意味はないと言い張った。 「中国が今から一番成長する国だと思うから。ロシアもいいかと思ったけどロシア語は俺にはちょっととっつきにくかったし、インドもちょっと難しそうだし。でもこの先二〇年くらいで経済成長しそうな国って考えたら断然中国だと思って。今なら間に合うと思うんだ」  兄は言い出したらきかない頑固なところがある。やると決めたら本当にやる。  ちゃんと自分で留学先も手続きも調べていて、アルバイトは学費を貯めていたらしい。  日本に比べて物価が安い(なんと平均月収が1万円もないらしい)ので食費などの雑費が月1万円、学費は地域によって年間30~50万円程度。  学生はみんな寮に入ることになるそうで、一番安い部屋なら滞在費は月1万円かからないと言う。一年間で総額50~80万円ほどで留学できる(ただしこれは最低ラインの生活)と言い、両親を説得した。 「何が身に着くかわからない大学に4年で400万払うより、同じ金額で中国に留学させてほしい」  頑固な兄だからきっとやりたいようにやるだろうなと中学生の俺は、兄と両親のやり取りを見守っていた。  数度の話合いの結果、両親が折れて、夏休みになる前に大学には退学届を提出した。  中国の大学は9月入学なので、慌ただしく渡航手続きをして8月の終わりに、スーツケース一つ持って兄は日本を旅立った。
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