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『猫男爵』が呟く。
その瞳をトロンとさせながら。
「ほぉ、昭典よ、
実に見事ぞ。見事な手際ぞ。
苦しゅうない。続けいぃぃ。」
その呟きは、思わず漏れ出る嘆息のようであり。
左手を『猫男爵』の背に這わせつつ、今度は右手の親指と人差し指とで、その両耳の付け根を軽く摩る。
「ふぉ、ふぉ!ふぉぉぉぉぉ・・・!」
『猫男爵』はその身体をひくつかせつつ、
吐息とも叫びともつかぬ、
くもぐった音をその口から漏らす。
その口の端からは、糸のような涎が滴っている。
首筋から尻尾の方へと撫で下ろしていた左手の動きを円のような動きへと変え、その背中を包み込むかのようにゆるゆると撫でる。
右手を両耳の付け根から、首筋へと場所を移し、親指とその対の四本の指とで左右から首筋を包み込むようにし、柔らに摩り上げる。
『猫男爵』はその目を細める。
「ふにゃぁぁぁぁ・・・ふにゅぉぉぉぉ・・・」
などと、くぐもったような声を上げる。
四本の脚をピンと伸ばし、その艶やかな毛並みを波立たせるようにしてプルプルと痙攣する。
右手を首筋から滑らせるように顎の下へと移動させ、そして顎の下を人差し指と中指とでコリコリと摩り上げる。
『猫男爵』はすっかり目を閉じ、そして「ゴロゴロ」という心地良さげな音を、その喉から立てる。
『猫男爵』はその体を完全に弛緩させ、私の両の手の動きに、その身を完全に委ねている。
『猫男爵』の、その毛皮の滑らかな触感、それは最早蠱惑的ですらあり、撫で上げる私の手を貼り付けにする。
『猫男爵』の、緑為すと言わんばかりの艶やかなその黒き毛並みは、恰も宇宙の深淵を覗き込ませるかのように、私の視線をずるずると惹き込んで、そして深々と包み込む。
『猫男爵』の、「ゴロゴロ」という喉を鳴らすその音は、心地良い拍子を刻んでおり、その低い響きとともに、私の感覚を外界から次第次第に切り離していく。
この宇宙には『猫男爵』と私しか存在しない、そのような心持ちとなりつつあるようだ
私は全ての神経を研ぎ澄ませ、
一心不乱に『猫男爵』を撫で、そして、摩る。
私の中から、時の感覚が失われていく。
私を取り巻く世界から、
音も、そして彩りも、その精彩を失わせていく。
私のあらゆる感覚を、『猫男爵』が満たしていく。
『猫男爵』という小宇宙に、
私の触覚も、私の視覚も、
そして私の聴覚もズブズブと囚われ、
惹き込まれていく。
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