7 再会

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猫は、夜目が利くのだ。 だから、夜の世界で起きることは、全てお見通しだ。 それが夢の世界であっても、現世であっても。 先程、夢の世界から現世(うつしよ)の夜へと出て行った昭典(あきのり) その彼が虹の橋の彼方にて、 柴犬のツヨシと話しているのもよく見えるのだ。 猫は、耳もいいのだ。 だから、夜の世界で交わされる会話は、 全て筒抜けだ。 それが夢の世界の片隅であっても、 虹の橋の彼方であっても。 だから、昭典(あきのり)とツヨシのひそひそ話もしっかり聞こえているのだ。 ふむふむ、一体何を話しているのだろう? あ!我のことではないか!? どうやら我は人気者らしい。 尻尾たちがクスクス笑っている。 ふむ、我が「『猫泥棒』の創始者の一人」だって? つい、古き日のことを思い出す。 柄にも無くしんみりとしてしまう。 我にだって、子猫の時はあったのだ。 我にだって、人に甘えていた時があったのだ。 我にだって、人から優しさを受け取っていた時があったのだ。 幸せに満ちた日々だった。 小さき者にとって、優しさは必要なのだ。 今日を暮らし、明日を生き、 そして、心を育むためにも。 幸せの意味を知るためにも、 故に、この仕組みを造った。 その昔、人の魂を司る神、 そして、犬の魂を司る神と共に ふむ、我のことを色々と話しておる。 確かに、柴犬のツヨシが『猫泥棒』の頃、 『年貢米』を半分ほど取り上げたこともあった。 あの時は、昭典(あきのり)もツヨシも、 随分と不満そうな顔をしていたものだ。 まぁ、根にも持つのだろうな。 あの時は、そう、あの満月の夜から半月後に大きな災いが起きることになっていた。 災いにより、多くの小さき者たちが寄る辺を失い、 飢え、そして、寂しさに震えることになっていた。 我は、現世(うつしよ)の定めを知ることが出来ても、それに棹差すことは出来ぬ。 現世(うつしよ)の定めを、現世(うつしよ)の者に教えることも叶わぬ。 我に出来るのは、精々、幸せに満ちた夢を見ることを手助けすること程度なのだ。 それ故、あの時期は『猫蟲』達に多めに『年貢米』を集めさせていたし、『猫泥棒』達が月夜の晩に現世の寂しき者達に還す『年貢米』の量も抑えねばならなかった。 災いによって傷付いた、 多くの小さき者達の心を少しでも暖めるために。 災いによって傷付いた、多くの小さき者達に、 少しでも明日を生きるための力を与えるために。 よく嫌がらせめいた事をするのも、 『猫泥棒』に対する緊張感を持たせる為だ。 障害が無ければ引き締まらぬし、 使命感も湧き立たぬものなのだ。 あと、猫たちの多くは『猫泥棒』を快く思っておらぬ。 一応は邪魔立てしている振りもせねばならんのだ、 『年貢米』を盗られる側である猫の代表として。 『呪い』の内容は我の気まぐれも多分にあるのだが。 まぁ、知らんでもいいよ、こんな事は。 そう言えば、昭典(あきのり)めは、我を撫でて大いに喜んでおった。 彼奴(きゃつ)が我を撫でたがっておったのはだいぶ前から分かっておった。 だが、我は仮にも神に近しい身。 世の(ことわり)から鑑みると、現世の者である『猫泥棒』に触れさせることなど本来は叶わぬのだ。 だが、彼奴(きゃつ)は今宵が最後の『猫泥棒』。 我と相まみえるのも今宵が最後だ。 当分の間は。 それ故、餞として触れさせた。 これまでよう『猫泥棒』に励んできたことへの手向けとして。 まぁ、我は後で『猫大御神』様から叱られるかもしれぬが。
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