第一章・おにいさんの苦悩

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 仄暗い闇の中。小さな子のように膝を抱え、壱琉(いちる)は背を丸める。  膝頭に強く押しつけた額は、きっと赤くなっているだろう。そのさまを容易く想像できるほどに、彼は同じ姿勢を延々と保ち続けている。 「はあぁ……やっべ……あれは、やべぇよな。マジだったもんな」  グリグリ、グリグリ。バサリと垂れた前髪ごと、膝と額との擦れ合いの度合いはさらに強まる。 「あああぁっ、どーすっかなぁ。どうする? どうするよ、俺!」  徐々にボリュームが上がっていく独り言は、静かな空間に苛立ちと懊悩を響かせていく。  壱琉の声は、甘く艶めく中低音。彼の口から零れるのはお世辞にも上品とは言い難い乱暴な言葉遣いばかりだが、その声が持つ威力で聞く者の悪印象を半減させてしまうという困った効能がある。  加えて、ルネサンス期の名匠が魂を込めて手がけた彫像のごとき整った容姿も併せ持っているものだから、良くも悪くも効き目は抜群だ。  これは本人の(あずか)り知らぬところであり、その一方で、壱琉自身が自分の武器と承知している点でもある。  つまり、壱琉が〝その気〟になれば、よほど馬が合わない相手以外、自分の信奉者に出来るのだが。それは彼にとって、『相手が勝手に落ちた』という、望んでいない戦果に過ぎない。  ただ、別にその気になっておらず、ぶすっと突っ立っているだけであっても、才色兼備のお姉さんたちが入れ替わり立ち替わり彼女候補に名乗りを上げてきていた中学時代を経ていれば、鼻につく自惚れ野郎と思われても仕方がない。実際、相当な自信家で傲岸不遜、謙虚とはまるで縁が無い男に育っている。 「うあーっ、駄目だ! やっぱ素直に謝るしかねぇよな。アイツ、めっちゃ怒ってたもんなぁ。けど、この俺が『素直に謝罪』とか無理だろっ」  けれど今、謙虚とは縁が無い自信家は、ひどく弱っている。百八十五センチの長身を二つに折って膝を抱え、ああだこうだと煩悶中。 「それに、タイミング! 謝罪以前に、話しかけるタイミングをどうするか、だ。アイツ、『もう話しかけないで!』って怒鳴ってたんだぞ? どんなタイミングで、どんな顔して話しかけたらいいか、全然わかんねぇ。つか、運良く話しかけられたとして、無視とかされたら、どうすんだよ。立ち直れねぇわ!」  嫌味なほどに整った容貌をぐしゃりと歪めて、彼には似合わないネガティブな一人芝居を繰り広げている。
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