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 カフェを出てから、街をぶらぶらした。  柔らかい日差しの中、歩く。吹いてくる風が冷たい。結構着込んでるのに、ブルリとする。  土曜の街は、特に賑やか。家族連れやカップルはもちろん、部活帰りの中高生たちや仲良しグループなど色んな人たちが道を行ったり来たりしている。 「どうぞお立ち寄りくださいませー」  売り子さんたちも、お客さんを呼ぼうと必死だ。セールやってます! っていう内容の看板を掲げて声を張り上げている。  ある程度お店を見て回ったあとは、デパートに行く。  店内は暖房が効いていた。外との気温差にちょっとびっくりしながらマフラーを外す。  暖かい風と一緒に運ばれてくる、香水の匂い。入ってすぐに、化粧品売り場があった。  その中の、気になるブランドに足を運ぶ。友達が前使っていたリップスティックが可愛かったから、見るだけ見てみたい。  香水やファンデのディスプレイを軽く眺めたあとは、お目当ての物があるコーナーへ。  そこには、私と同じぐらいの子たちから、おばさんたちまで広い年齢層の女性が群がっていた。  やっぱ人気なんだな、ここのリップ。  そう感心している間に、数人がいなくなった。私たちは群れに入る。  土台にブランドのマークが描かれた、黒いディスプレイ。まず目を引いたのは、商品ごとに分けて並べられているリップスティックのサンプルだった。  どの製品もカラーバリエーションが豊富。定番の真っ赤なもの、ピンクなものはもちろん、オレンジっぽいものやベージュっぽいものもあれば、紫の色味が強いものもある。この世に存在する、ありとあらゆる赤色を集めているみたい。  リップスティックの手前にはグロスやマニキュアもある。けど、今はどちらも間に合っているので、チラ見する程度。  私が好きなのは、オレンジ系。偶然なんだけど、パーソナルカラーもイエベの春。だから、そういう色合いの商品を見比べる。  やっぱ、マットがいいかな……。  ロゴの入った容器から顔を出しているサンプル。なんだか、じっと見つめられている気分になる。どう? 塗らない? って誘われているみたいだ。  塗りたい!   心の中で、サンプルに返事する。  ……けど今お金に余裕がな—— 「そちらの商品、もしお時間があればお試しになりませんか?」  ニコニコして、店員さんが声をかけてきた。  女の人のキレイな声が、悪魔のささやきのように聞こえる。  うっ、いけない。惑わされちゃダメよ! 「あ、いえ、見てるだけなんで」  私は誘惑を断ち切った。  店員さんはおじぎすると、他の人に呼びかけた。 「瑛子、よかったのか? 試してみればいいのに」  小声できいてくる煌大さん。私はお店の人に聞こえないように、 「そんなことしたら買わなきゃいけなくなるじゃん」 「いいじゃないか、買えば」  「買えば」の主語は私じゃない。煌大さんだ。  ブランドコスメを買ってやろうなんて、そう簡単に言えるもんじゃないのに。さすが一流企業社員。  けど私にとって煌大さんは財布じゃない。だから、 「いらない」  行こ、と煌大さんの手を引っ張る。  彼は何か言いたそうだったけど、黙って私についてきた。  充実した化粧品コーナーを見てまわって、デパートの戦略(ファウンテン効果っていうらしい)にかかっている私たちは、上の階にも立ち寄ることに。  エスカレーターに乗っていると、貼り出されている広告に目が止まった。  どうやら、9階でやってるイベントの告知らしい。  白地の背景に、色んなメーカーのチョコレートが載っている。その種類も、板チョコだったり、生チョコだったり、アソートだったり、さまざま。  その下には、桃色のゴシック体で「バレンタイン博覧会」と大きく書かれていた。  後ろで告知を見た煌大さんは、ほう、と言ったあと、 「せっかくだし、どうだ、行ってみないか?」  行ってみたいのはやまやまだ。でも、写真のチョコはどれも高そう。広告に載っているようなお高いチョコレート屋さんばっかりあるに違いない。 「敷居が高い。行かない」  エスカレーターを乗り継ぎながら、答えた。  煌大さんは、使い方違うぞ、と苦笑しながら、 「なにも、絶対買わなきゃならないわけじゃないんだぞ?」  そうなんだけど、確信している。  さっきの化粧品コーナーのときのようなことになるって。  売り場のチョコを眺めていた私が、店員さんに捕まっている様子が頭に浮かぶ。  隣にいる煌大さんは買おうとしている。  そんな予感を振り払うように、首を横に振った。 「行かない」  それに、バレンタインなのに私が貰ってどーすんの。 「俺が行きたいんだ、少し付き合え」  私が拒否できないように、そう言う煌大さん。本当は私がどうしたいかなんて、やっぱり分かりきっている。  次のエスカレーターに乗って、 「しょーがないなぁ」 「ありがとう」  穏やかな声を、背中で聞いた。  何度かエスカレーターを乗り継いで、やっと9階へ。  会場に近づくにつれて、中のガヤガヤとそれに負けない店員さんの呼びかける声が聞こえてきた。  人の流れに従って、私たちもゲートをくぐる。  入り口の手前にある壁が、モノクロでオシャレなデザインだった。写真を撮りたかったんだけど、一瞬でも立ち止まったりしたら、迷惑がられそう。フロアマップの前はかなりの人だかりで、私たちは見るのを諦めた。  会場内は大盛り上がりだった。  思った通り、出店してるチョコレート屋さんは、どこも高級そう。  けど、どのお店にも行列ができている。特に、私でも知っているような有名なショップにはすごく人が押し寄せていた。  その様子はまるで、お菓子に群がるアリみたい。  ある有名コーヒー店の生クリームがたっぷり乗せられたフローズンを求める列とは、レベルが違う。こんな行列、私たち高校生には、とてもじゃないけど作れそうにない。  博覧会を大体回って、出口付近にやってきた。  そこにもショップが連なっている。人の群れも相変わらずだ。  出口側に一番近いお店に目をやって、 「ほう、ここも出店しているんだな」  煌大さんが呟いた。  天井から吊り下げられている看板を見る。  そこに書かれているのは、フランス人の名前みたいな店名。いかにも高級って感じがするけど、全く聞いたことがない。 「知ってるの?」 「毎年同僚が、ここの菓子をくれるんだ」  なんでもないように答える煌大さん。 「勿論、義理だ。そいつにはもう恋人がいるからな」 「そ」  興味ないように返事をする。と同時に、ホッとした。  ショーケースの前から少しだけ人がいなくなった。なにげなく、近づいてみる。  そこには、この店で売られているものの見本。見やすいように、一定の間隔を空けて置かれている。  そのうちの1つに目が止まった。  ピンク色のハートの缶ケース。  蓋の横には、ケースと同じ形の小さいチョコが4粒、詰め合わされている容器。  チョコレートは、赤、黄、オレンジ、ピンク、と色とりどり。そのどれもがツヤを放っていて、見ているだけでも幸せになる。  もはや食べものじゃなくて、宝石だ。サンプルでこれなんだから、本物はもっとキレイなんだろうな。  ふと、下の値札が目に入る。上品な字体で、  『¥1730』  と書かれていた。  チョコから放たれるツヤが急にまぶしく感じる。めまいがしてきた。  チョコ4個でこの値段? じゃあ、これより多いのは……知りたくない。  同僚の人は毎年これか、もっと高いものを煌大さんに渡している。で、毎年煌大さんは、それに見合ったものを返すわけでしょ。  ちょっと考えられない。私がいくらバイトしてるったって、義理チョコにそんなお金はかけられないよ。  大人のバレンタインってそういうものなの?  そして、今年も同僚の人は煌大さんに—— 「どうした?」  煌大さんは、今までどのお店にも近寄らなかった私が、急にショーケースの中身を見始めたことを少し意外に思っているようだ。 「別に」  私はケースにまた視線を落として、 「ここ、美味しい?」  なんでこんなこときいたのか、分からない。  フツーに考えて、お店の前で「マズイ」なんて言うわけないのに。 「ああ。どれもいいが、特にホワイトチョコが美味いよ」  詳しく言ってるあたり、これはお世辞じゃない。  少し胸が苦しくなる。  煌大さんとも、店員さんとも目が合わないように、ガラスの中の宝石を見つめるふりをした。  それはキラキラした輝きをもって、私を見つめ返す。 「ふーん」  自分の声がいつも通りで、胸をなで下ろす。  ホワイトチョコ、買ってなくてよかった。  心の中でそう繰り返す。自分を安心させたかったのだ。  会場を出た頃には、5時を過ぎていた。  これから、夕飯の買い出し。煌大さんが、帰る途中で店に寄るのが面倒だ、って言うので、地下の食品売り場に向かう。  エスカレーターで下に降りているとき、煌大さんが、 「今日何がいい?」  私は振り返って、 「あったかいもの」 「ふむ」  煌大さんは少し考えるようにして、 「なら、グラタンなんてどうだ? サーモンとアボカドの」  うっ、どっちも大好物。  それも、今日みたいな寒い日に食べるグラタンの中に……。  頭の中に、ぐつぐつ煮たっているグラタンが浮かぶ。  コクのあるホワイトソースが絡んだサーモンやアボカドを想像するだけで、よだれが出てきそう。  なんとかこらえて、 「じゃあそれで」 「了解」  次のエスカレーターのステップを踏む。 「美味しく作ってね」  経験則から分かる。  こんなこと言わなくったって、さっき想像した通りのグラタンを、彼は作ってくれる。  それを食べて、私はきっとホワイトソースみたいにトロトロになっちゃう。 「努力するよ。瑛子のためだ」  煌大さんはそう返事する。  背後では、言葉と同じ人を全く不快にさせない笑みが浮かんでるに違いない。
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