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冷蔵庫からバットを取り出す。
中身は、およそ1時間半前に流し入れた生チョコのタネだ。
ラップをはがして、端を包丁で切ってみる。
すっと刃が通った。よし、いい感じに固まってる。
バレンタインが日曜日で、ホントよかった。当日に、本命にチョコ渡しができる。さっき煌大さんと、会う約束をしたところだ。
バイトも、今日明日と休みをもらった。
だから今日一日を、準備の日にまるまる当てられる。
先に友達用のスコーンを作り終えて、今は本命チョコ作りにいそしんでいた。
あとは同じ大きさになるように、四角く切っていく。
そんな作業をしながら、私は昨日の学校帰りを思い出していた。
「え、もう材料買ったん!?」
親友の隼奈は、目を丸くして驚いてみせる。
「うち、明日買うつもりだったんじゃけど」
声に焦りをにじませて言う隼奈。
バレンタインで色めきたっているのは休日の街だけじゃない。平日の学校でも、皆来たるバレンタインについての話題でもちきりだ。
何作る? とか、もう準備した? とか、本命は? とか。
私たちも例にもれず、この時、バレンタインについて話していた。
隼奈は広島出身の女の子。去年こっちに引っ越してきた。
入ってきたのが私のクラスで、たまたま席が隣になった。
そこから仲良しに。
人懐っこい彼女はクラスの人たちに早く打ち解けて、私がいた仲良しグループにもすぐ馴染んだ。
幸い、今年もクラスは同じで、帰りも途中まで一緒。だから私たちは、よく一緒にいる。
「だってさ、当日に近くなったら絶対売り切れるじゃん?」
「そーよねー。百均の箱とかホンマにね」
ウンウンと隼奈は大きく頷き、
「えらいわ、うちなーんも考えとらんかった」
肩をすくめる。毎年後悔しとるのに、懲りんわぁ、と自嘲気味に笑った。
まーしかたないよ、と苦笑いで返すと、
「で? 今年、カレピと初めてのバレンタインなわけですけども……」
今度は、ニタァ、といたずらっ子みたいな笑みを浮かべる隼奈。
隼奈に彼氏はいない。だから、「カレピ」は私のカレピのことだろう。
9歳年上の人を、「カレピ」って。なんかじわじわくる。
っていうか、隼奈。
「カレピってもー死語よ」
私は笑いながら言った。
隼奈は片手をヒラヒラ振って、
「知っとるよ、わざと使っとんじゃけ」
では改めて、と大きな目で私をとらえてきた。そして手をグーの形にすると、自分の口に近づけて、
「彼女さん、何をお渡しの予定ですか?」
こっちに向けた。まるでインタビューだ。
私は慌てて、
「えっ、なんで答えなきゃいけな」
「瑛子さーん。今はインタビューですよ。ちゃんと答えてくださーい」
ずいっと私に詰め寄る隼奈。
で? で? と楽しそうにきいてくる。
マイクも私のアゴにコンコンあたる。現実にこんなインタビュアーがいたら炎上モノだ。
私は観念して、その場のノリに乗ることにした。
「そーですね、生チョコですかね」
「生チョコ! いーですね」
歌うように相槌を打つ隼奈。次の質問をしようと口を開いたけど、
「でも……」
私が遮ってしまう。そんな気はなかったんだけど、口が勝手に動いた。
「でも?」
それでも隼奈は、話を聞いてくれる。
だからなのか、言葉はどんどん流れ出てきた。
「あの人、義理チョコで、すんごく高くて美味しいやつ、毎年もらってるんです」
一応、インタビューされている人としての口調を崩さないようにする。
キョトンとする隼奈。マイクの形を作っていた右手が、だんだん解けていっている。
「だから、私の安っすい手作りチョコなんかあげるの……申し訳なくて……」
沈黙が流れる。想定外の発言に、インタビュアーが言葉を失っている。
しばらくして、
「そーよね。分かる、不安よね」
インタビューごっこをやめた隼奈が、いつも通り広島訛りで返した。
マイクはもう、女の子の手に戻っていた。表情にも、言葉と同じ、共感してくれる気持ちが表れている。
「あの人金持ちじゃし、舌が肥えとりそうよね」
「うん。そーなの」
俯き加減に頷く。
「どうしよう、やっぱ、奮発して通販かなんかで、高いの買おうかな……」
そうなれば、買ってしまった材料は友チョコの一部になるだけだ。お金は本当に底を尽きちゃうけど、仕方ない。
「瑛子」
隼奈は立ち止まって、覗き込んでくる。
「もしうちも豊川さんみたいな彼氏おったら、そんな気持ちになると思う」
優しい色をした猫目が、私を見つめる。けどね、と微笑んで、言葉を続けた。
「ありきたりな言葉じゃけどね、お金が全てじゃないんよ。高級な義理チョコがなんなん? 大事なのは」
握り拳を作った右手で、トン、と自分の左胸を叩く。
「気持ちじゃろ?」
よくあるセリフによくあるジェスチャーを交えた親友の励まし。
でもそれをキレイごとだって否定するほど、私はひねくれてはない。
だってこの言葉で、私はチョコを作るっていうサジを投げるのをやめたんだから。
「大丈夫だって。どんなモノだって、あの人は絶対、喜んでくれるけえさ。じゃろ?」
「まあ、そーじ……だよ」
隼奈は全然訛りが抜けることがないので、たまにつられそうになる。
ニヤニヤする隼奈。
「今つられたじゃろ?」
うわー、聞き逃さなかったか。
「つられてないよ!」
「嘘じゃ」
「ホントじゃ」
「なんじゃそれ」
吹き出す隼奈。たまらなくなって、私も大笑い。
笑い終わったあとに、はぁ、と息をついた隼奈は、
「まぁ、でも、えーじゃん。喜んでくれるんならそれで」
話を戻した。
隼奈の言ってることに間違いはない。だから、
「うん、そーだね」
素直に頷いた。
でも、なんだか腑に落ちない自分もいた。
そのあとは、バレンタインの話はどこかに行ってしまい、そのまま解散になった。
隼奈は無事、材料買えたかな。
純ココアを茶こしにかけて、まぶす。
何作ってくるのか、聞くの忘れた。まあいいや、楽しみにしてよっと。
四角く切られてパウダーをまぶされたチョコのタネは、レシピの完成形そっくりになった。
こんなものか。
形のいいものを選んで、赤いチョコレートボックスに詰めた。
フタを閉めて、リボンを結ぶ。
ボックスよりも濃い、赤色のリボン。動画を見ながら、十字掛けをしていく。
慣れないことだから、何度かやり直した。けれど、なんとか完成。そんなにぐちゃぐちゃにならずにホッとする。
残りをお父さん用と友達用と味見用に振り分けて、味見用以外をタッパーに入れた。味見用は、そのままバットの上。
箱とタッパーを冷蔵庫にしまい、ラップを捨てる。
ゴミ箱を開けると、さっき捨てた板チョコの包装が現れた。
牛の柄の白い包装と、いくつかカカオが描かれた茶色い包装。
ミルクチョコとビターチョコ。
あの人の年齢を考えると、そんなに甘くないほうがいいかなって思った。だからビターチョコも少しだけ、混ぜることにした(ちなみに残ったビターチョコはお父さんの胃袋に収まった)。
近所のショッピングセンターで、早めに買った。売り切れたら嫌だったから。
どちらも売られてる中で一番高かった。普段なら絶対買わない。
チョコレートボックスとリボンも、いつもお世話になっている百均じゃなくて、大きなホームセンターで買ったもの。ボックスだけで、値段は6倍した(友達にあげるためのものはさすがにそこで買えなかった)。
そのせいで財布がピンチになっちゃったけど、別によかった。
どうせ渡すなら、あの人にふさわしいものにしたかったから。
ゴミ箱を閉めて、調理台の前へ。
目の前には、私の作った生チョコ。
1つ味見。
甘すぎない濃厚なチョコが、ねっとりと舌に絡みつく。
私にはちょっと苦いけど、美味しい。普段料理をしないにしては、上出来だと思う。
けれど。
突然、ハートの缶ケースが脳裏をよぎった。
それと一緒に浮かんでくる、中で輝くチョコ4つ。
宝石にはかなわないよ。
——特にホワイトチョコが美味いよ
ホワイト、という言葉に連動して、こないだ食べたグラタンの味が、口の中に広がった。サーモンとアボカドに絡まる、美味しいホワイトソース。
——どーやったらあんな味になるの?
——瑛子への愛情を、たっぷり込めることかな
じゃぁ私のコレだって、絶品じゃなきゃおかしいじゃん。
ホワイトソースの味が消え、チョコの味が戻ってきた。
舌で感じていた苦みが、全身に回っていくような気になる。
——大丈夫だって。どんなモノだって、あの人は絶対、喜んでくれるけえさ。じゃろ?
そうだよ。
あの人は絶対、どんなにマズいやつでも、安いやつでも、嬉しいと思ってくれる。例えばこれが百均チョコを溶かして固めただけのやつだとしても。
——えーじゃん。喜んでくれるんならそれで
でも、全然納得できない。
なんで割り切ることができないんだろう。
——大事なのは、気持ちじゃろ?
どうせなら、こんなめんどくさい気持ちが隠し味になってくれたらいいのに。
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