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 煌大さんから、着いた、とメッセージが送られてきた。  私はギリギリまで冷やしていた生チョコを取り出して、家を出る。  玄関のドアを開けると、冷たい空気が迎えてきた。  空は、青さがなくて、白色。  雪が降るんじゃないかってくらい、寒い。 「明日はぐっと気温が落ちるぞ。気をつけろよ」  昨日お父さんが言ってたな。 「天気予報でやっていたが、寒波が来るからな」  だから今日は迷わずタイツとブーツを選んだ。手袋とマフラーも忘れずに。うん、大正解だ。それでもやっぱりブルブルしちゃうけど。  アパートを出てすぐ近くに、停車可能なエリアがある。煌大さんは私を家まで迎えにくるときは、いつもそこで待っている。  今日もそこで待つ黒い車。フロントガラスに映る煌大さんが、軽く片手を上げる。 「お待たせ」  私はその助手席に乗り込んだ。  車内は暖かい。マフラーを畳んで、膝の上に乗せる。いつもは後ろの席に荷物を置かせてもらうんだけど、今はマフラーの上。  リュックの中には、赤いチョコレートボックスが入っている。 「では、行こうか」  発進しようとする煌大さんに、 「待ってまだダメ」  制止をかけた。  そして、おもむろにリュックのファスナーをジジジと鳴らす。  私がリュックを開けるのを見て、煌大さんはさっきの発言の理由を察したらしい。  シートベルトを外すと、背筋をちゃんと伸ばしてこちらに顔を向ける。そのいい姿勢からは、受け取る側としての敬意が伝わってきた。  手袋をしまって、目当てのものを取り出す。その直方体は、ひんやり冷たい。手袋に暖められていた指先の温度が移っていく。  箱は指の温度と一緒に、無限に生まれる緊張と、心臓の高鳴り、そして未だに心に巣食う宝石チョコへの劣等感を吸収していく。  それを悟られまいと、 「ん」  押し付けるようにして渡した。  両手で受け取る煌大さん。  壊れ物を扱うような丁寧な手つきだ。そのあと、赤い箱に視線を注いだ。 「なにジロジロ見てんの、毒入りとでも思ってる?」  こういうシチュエーションでよくあるセリフを口にする。  まさか、と煌大さんは笑う。 「そうだとしても食べるが」  私はあからさまに嫌な顔をする。  それはやめて。入れることはまずないと思うけど。 「冗談だよ」 「そうじゃなくても、いらないなら捨てていい」 「捨てるわけないだろう。瑛子からのチョコを、一番楽しみにしていたのに」 「またそんなこと言う」 「開けていいか?」 「好きにすれば」  煌大さんはリボンを丁寧に解き、箱を開けた。生チョコが現れ、甘ったるい香りが車の中に充満する。  ほぉ、と煌大さんが息をつく。  顔つきは、まるで宝箱に入った宝物を見ているかのよう。  彼の目には、茶色い四角の粒が、宝に映るんだろう。赤や黄やオレンジやピンクの宝玉より、ずっと、輝いて見えるんだろう。おかしな話だけれど。  一つ一つに感動してくれている煌大さんを見ていると、なんだかくすぐったいような気持ちなった。 「いちいち大げさなんだって。食べるなら早く食べなよ、チョコ溶けちゃうよ?」  はっとした表情になる煌大さん。本当に見とれていたらしい。 「そうだな」  そう微笑むと、いったんダッシュボードの上に箱を置く。  いつもなら正面のガラスから日光が差し込まないか不安になるけど、今日は大丈夫だ。晴れてない日でよかった。  煌大さんは、いただきます、と合掌。ボックスを片手に戻したあと、一粒に手を伸ばす。  毎年彼が貰っているものよりも、色味がなく、安っぽいチョコレートが、煌大さんの口に運ばれる。  煌大さんはその安物チョコを、ごちそうみたいに味わう。 「うまい」  それは、私に味の感想を伝えたんじゃなくて、思わずつぶやいてしまったって感じの言い方だった。  私は気恥ずかしいような気持ちになって、彼を直視できなかった。  彼氏の反応になんて関心がないかのように、スマホをいじる。  メッセージアプリを立ち上げると、隼奈から、 『どうだった? 豊川さん♡』  と送られてきていた。  ニヤニヤ笑っている隼奈が目に浮かぶ。 『めっちゃ喜んでくれてる』『ヤバイわ』  私が返信すると、 『てる、って、現在進行形?』 『そー』『今食べてる』  と私。 『なんしよん笑』『うちとしゃべっとる場合じゃないじゃん笑』 『愛情より友情だし』  私は、友達といるときに、煌大さんとのメッセージのやりとりはしない。あと彼からメッセージが来ても、その場では読まない。 『うちらの絆一生モン?』  隼奈からの返信に思わず笑ってしまう。 『懐かし笑』  小さいとき、そういったフレーズが沢山の女の子たちの口から出ていたっけ。  私もプリクラとかにそんなこと書いてた気がする。  成長した今では、もう誰もそんなこと言わない。けど、隼奈との絆は一生大事にしたい。 『じゃろ笑』『まぁでも、愛情も大事にしんさいね』 「ごちそうさまでした」  隼奈からメッセージが来ると同時に、煌大さんが手を合わせた。  隼奈との絆を大事にしたい。だからこそ、親友の意志を大切にしなきゃいけない。  ここで彼女とのメッセージ交換は、いったん終わろう。「ありがとう」とインコがおじぎしているスタンプを送る。  スマホから顔を上げて、右に向ける。  煌大さんは、指についたパウダーをペロッとなめていた。 「ティッシュで拭きなよ、汚いなぁ」  呆れる私。 「その手でハンドル握らないでね。見てて嫌」 「そうだな」  なめた指をささっとティッシュで拭く煌大さん。  私はふと浮かんだ疑問を口にする。 「こないだのホワイトチョコとか、カラフルなチョコ食べたあとも、指ペロペロなめるの?」  煌大さんは私に顔を向けて、 「いいや、ティッシュで拭くかな」 「じゃあなんで」 「もったいないだろう?」  なんで、のあとに続く文を、煌大さんは理解していた。  もったいない。それは、食べ物が、ってことだろうか。  薄い色素の目が、私を見る。 「さっきも言ったが、俺は瑛子からのチョコを何よりも楽しみにしていたんだ」  全部味わわないと、もったいないだろう?   そう言って、穏やかに笑う唇。細まる瞳。  なんて甘い。甘ったるい。  私はゆっくり溶かされる。まるで、湯煎にかけられているみたいに。  緊張も、どくどく打つ心臓の音も、キラキラ輝くチョコや高級嗜好のホワイトチョコへの劣等感も、皆溶けていく。 「キモ」  甘さなんてこれっぽっちもない私の言葉。  煌大さんと目が合う。  ミルクチョコみたいな色の両目。それを見つめる私の瞳はきっと、ダークチョコレート。  苦いまんまの私を、このミルクチョコは優しく包んで、まるで、美味しさの一部であるかのようにする。 「でも、ありがと」  尖っていた口調も、角をなくしていく。  煌大さんはそっと微笑むと、 「こちらこそ」  私の頭をなでる。さっきチョコを受け取ったときのように、優しく。  その手つきのような口調で、 「瑛子の気持ち、しっかり味わったぞ」  煌大さんの言葉は、暖房以上に私の頬を熱くした。  甘えたくない。素直になれない。劣等感。  そして、  どうせチョコを渡すなら、煌大さんに釣り合ったものにしたいという気持ち。  やっぱり全部お見通しなんだな。 「いい隠し味だ」 「うん」  今の私は、つっけんどんになれない。  煌大さんの手の温度と、顔の熱さが湯煎の温度を上げて、私はすっかり溶けてしまっていた。  彼の手が離れる。それでも私の頭は、ポカポカしていた。 「じゃあ、そろそろ行こうか」  微笑みかける煌大さん。  私は無言で頷いて、シートベルトを締めた。  街に向かっている途中、隼奈が私に言ってくれたことを思い出した。 ——大事なのは、気持ちじゃろ?  そうだよ。  めんどくさい気持ち、いい味になってたよ。  いや、  私は車を走らせる横顔を見つめる。  大人の余裕をたたえる横顔。苦さを包み込む、チョコレート色の瞳。 ——瑛子の気持ち、しっかり味わったぞ  してくれてるんだよ、いつも。  してくれるんでしょ? これからも。   Fin.
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