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「なんなん、もー! マジムカつく」
コンビニ近くに停めてあった車に乗り込むと、私はそうわめいた。
ふだんなら助手席に座るとすぐにカーナビを操作して、お気に入りのプレイリストを再生する。
けど今の私は、それすら忘れるほどイライラしていた。早くストレスをどっかにやりたかった。
「どうしたんだ?」
隣の、キレイな横顔をした男の人が穏やかに問いかける。
控えめにツーブロされたショートヘア。ワックスかなんかで形が整えられている。
高くて、形が整っている鼻。これが主に彼の横顔を美しくしている。
スクエアメガネの奥にある切れ長の目。茶色い瞳は、まっすぐ進むべき道を見据えていた。
男の人——豊川煌大(とよかわ こうだい)さんは、9歳年上の彼氏。一流企業の社員だ。
私たちが出会ったのは、電車だった。痴漢に遭っていたとき、彼に助けられたのだ。
このときの煌大さんは、すっごくかっこよかった。ただえさえイケメンなのに、百倍増し。
そこから仲を深めていった私たちは、付き合うことになった。
26歳の大人と17歳の女子高生が、っていうのは、もしかしたら眉をひそめられる話かもしれない。
しかも、私たちは恋人同士がやることをやっている。手を繋ぐのはもちろん、キスとか、他のことも。
場合によっては煌大さんは捕まってしまう。けど私たちが住んでいるところにそういう条例はないし、なにより、私たちの仲は、親公認だ。
だから私たちは、堂々と、カップルとして外を歩くことができる(さすがにスーツと制服姿ではしないけど)。
今日はバイトが終わったらデートすることになっていた。
私は郊外に住んでいて、バイト先も家の近く。
一方煌大さんは都心部で一人暮らし。今回は私を拾うため、車を出してくれた(そういえば、都会で車を持つと出費ヤバいって聞くんだけど、ホントなのかな)。
整った横顔は、大人の余裕をたたえている。
さあ、話しておいで。
そう言って、私の話を待ってくれているような気がする。
私は、ついさっきの出来事を話し始めた。
「いや、聞いてよ、あのさ——」
そのとき店内は、忙しさのピークを越えていて、人の出入りが落ち着いていた。
もうちょっとであがり。早く時間にならないかな。
そう思いながらレジの周りの拭き掃除をしていると。
ピンポーン。
入店音がした。私はとっさに顔を上げる。
入ってきたのは、無愛想なおじさん。まっすぐレジにやってきて、
「ショッポ」
聞き慣れない単語を口走った。どこか威圧的な口調にビクッとしながらも、
「すいません、もう一度お願いします」
「ショッポ」
おじさんはイラだったように繰り返す。言葉の勢いも、さっきより強かった。
私は考える。
ええっと……もしかして、タバコの銘柄なのかな。
けど、私は種類では把握していない。だから、
「あの、申し訳ありませんが、番号でお願いできますか」
「分かるわけねえだろ」
睨みつけてくるおじさん。喋り方も相まって、怖い。
棚見たら分かるでしょ。ほら、私の後ろをご覧なさい。
って言いたかったけど、こんなこと言ったら何されるか。
仕方なく後ろを向いて、陳列棚を必死で探す。
ショッポ……。ショッポ……。え、どれ?
私の心に、焦りが生まれる。
そんな名前のタバコ、どこにも見当たらな——
「遅せーわ!」
バン!
カウンターを叩くおじさん。後ろからすごい勢いで怒鳴ってくる。
「ショッポって言われたらショートホープだろーが!」
ひぇっ。
「ショート……?」
正式名称を聞いたところで、全然ピンとこない。
「あそこにあるだろ!」
振り返り、おじさんが指すところを確認する。そこには、真ん中に青い弓矢のロゴが描かれた白い箱。
最初からそう教えて欲しかった……。
そう言いたくなる気持ちをグッとこらえながら、箱をおじさんに手渡す。
「すいません、お待たせし——」
「おい、こんだけ待たせといて、金取るんじゃねぇだろーなぁ!?」
タバコを雑に受けとったおじさんが前にのめって、顔を近づけてくる。怒りに燃えるってよく言うけど、このおじさんはもう大火事レベルの燃えようだ。今にも掴みかかって来そうだし。
ひええ。
私は完全に縮み上がってしまい、すいませんすいませんと繰り返すしかなかった。
そのあとは、他のスタッフが通報したのだろう、事務所から社員さんが出てきてくれて、代わりに対応してくれた。そのため、私にこれ以上の被害はなかった。おじさんは舌打ちしながら帰っていき、社員さんは最初は慰めてくれた。
けどクレームは、こっちにも非がなければ生まれることはない、というのがその社員さんの考え方。タバコの名前を覚えていなかったことを指摘されたうえに、そもそも対応が悪かったんじゃないかと言われた。
……ひどい話だ。
「店員なんだから覚えとかなきゃいけなかったかもだけどさぁ……」
「それに気づいただけいいじゃないか」
「でも、使わないものの名前なんていちいち覚えてらんないよ。しかも、略称なんか……」
「そうだな、分かるまい」
「私、高校生よ。タバコの種類暗記しなさい、とかさ、ちっちゃい子にお酒の銘柄覚えろって言ってるよーなもんじゃんか!」
「難しいな」
苦笑いする煌大さん。チラッと後ろを見ると、車線を変える。
年齢差もあって、煌大さんには、歳の離れたお兄さんに話す感覚で愚痴をこぼすことがある。
けど、私が彼についこんなことしちゃうのは、もっと他の理由があった。
「私が怒られたのはぜーんぶあのオッサンのせいよ!」
誰かに愚痴ると、相手の反応はだいたい3つに分かれる。
1つ目。「そうかもしれないけど、あなたのここも悪い」って批判してくる。今日の社員さんみたいな感じ。共感してくれているのかと思ったらなんか違う。
2つ目。原因を一緒になって悪く言う。私もこのタイプだ。今回のパターンだと、「えー、そのオッサン、サイテーじゃん」とかって返す。
3つ目。同情するどころか自分の不幸話をしてくる。典型的なセリフが、「あんたまだいいじゃん、自分なんて……」(こういう人たまにいるけど、正直苦手)。
けど煌大さんはどれにも当てはまらない。
「災難だったな。そんな中よく頑張った」
こんな風に「辛い」「悲しい」「ムカつく」に共感してくれるし、励ましてくれる。
しかも、愚痴の対象になってる人を悪く言わないあたり、性格のよさが出ていると思う。おかげで私も言い過ぎずに済む。
「ホント。マジえらいわ私」
「ああ。えらいな。そんな瑛子(えいこ)が、好きだ」
「最後いらない」
ふっと微笑む横顔。
それを眺めながら、尖っていた気持ちが丸くなっていくのを感じる。最後の一言ももちろん嬉しかった。
煌大さんも、きっと辛いとかキツいとか思うことはあるんだろう。けど、そんな素振りを一切見せない。ふたりでいるとき、彼は仕事のことなんて全く話題にしないし。
私も社会人になれば、そんな風になれるんだろうか。
ふと考えてみる。
いや、きっと、フツーに職場の不満を持って帰っちゃうだろうな。今、学校やバイト先からたまにしているのと同じように。
それでも煌大さんは変わらず、愚痴を聞いてくれて、気持ちに共感してくれて、励ましてくれるんだろう。
……って、ちょっと待って。私、しれっと将来煌大さんと暮らすことを想像してない?
顔が熱くなってくる。
やだ私、何考えて——
「いつでも聞くよ。俺でよければ」
横から、私の思考回路を読んだかのようなセリフ。ちょっとびっくりしたけど、
「は?」
何言ってんの? って顔をする。
「いいや、なんでもない」
返事して、煌大さんは駐車場に車を乗り入れる。
私は意地悪い笑みを浮かべて、
「サンドバッグになってくれるの? ありがと」
するわけないけどね、と心の中でつぶやく。
煌大さんは苦笑い。
「お手柔らかにな」
そんな風に返してくるけど、この人はきっと分かっている。私がそんなことするわけないって。
「さあ、着いたぞ」
エンジンを切る煌大さん。
私たちはシートベルトを外して、車の外へ。
街に向かいながら、
「昼どうする?」
バイトは12時までだったので、昼食はまだだ。
お腹はけっこう空いている。
行くならオシャレなカフェがいい。
でも私はこう答えた。
「ワックでいいよ」
煌大さんはデートのとき、いつも奢ってくれる。
しかもいつのまにか伝票をレジに持って行ったりしているので、知らない間に会計が終わっていることが多い。
今回もご飯代を出してもらうことになるに違いない。
だから安めの大手ファーストフード店の名前を出した。
ところが、
「気分じゃないな」
却下された。
「じゃあ、どこがいいの?」
私の質問に、彼はうーん、と考えるようにしてから、
「前から気になっているカフェがあるから、そこにしたい」
あたかも自分の意見のように、そう言う。
そう意見されたら、私は従わない理由がなくなる。
「じゃ、そこ行こ」
「ああ」
煌大さんはニッコリ笑うと、私に手を差し出した。大きくて骨張った、男の人の手。
その手を取りながら、思う。
彼には私が考えていることなんて丸わかりなんだろうな。
それでも煌大さんは、素直になることを強制してこない。あるがままの私を認めてくれる。
これは、そんな彼に甘えてしまっている私による、今年のバレンタインの話。
結構めんどくさいこと言っているんだけど、ちょっと我慢してほしい。
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