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「こ、こわかった……」
気が抜けた途端、全身からドッと力が抜けた。
「腰が抜けちゃった?」
長い腕が伸びてきて、「はい」と手のひらが差し出された。
その手を取り、包まれた手の大きさに、ん? と思う。顔を上げ、目に入ったのはびっくりするほど整った顔面。まるでヨーロッパの彫刻像みたいに整った顔。そしてまた、あれ? と思う。
そうだ、僕はこの人を見たことがある。
入学式の日、受付で僕の胸にリボンを付けてくれた人だ。あの時も、こんなにかっこいい人がいるんだとポーッと眺めてしまった。
でも、他の先輩達はリボンを付けたあと、「ようこそ」とか「三年間頑張ってね」とか「入学おめでとう」とか、笑顔で握手してたのに、この人は無表情のままの握手だった。歓迎の言葉はひとつも発してもらえず。 ちょっと寂しかったのを覚えてる。
そんなことを考えている間にその人は僕をグイッと引っ張り起こしてくれた。
「あ、あのっ、助けてくれてありがとうございます」
入学式のことを思い出して、僕は慌ててお礼を言って頭を下げた。
「君の名前が、もしかして、チヒロ?」
「はい。あ、桜園路、智尋です」
先輩は突然クスッと笑った。
すごく可愛らしい笑顔……。入学式の時とは全然違う。ついつい目が奪われてしまう。
「廊下まで聞こえてきたから。ちひろちひろって」
廊下までって……。
恥ずかしさに顔がカーッと火照りだす。
鈴木さんのあの声が廊下まで聞こえてたなんて。
「服直して、とりあえず出ようか?」
先輩の言葉に、自分の恰好がひどく乱れていることに気が付いた。
「ぎゃ!」
ネクタイは外されシャツはびろーんとズボンから出てるし、ボタンも外れたまま。 なんてはしたない恰好なんだと、慌てて背を向け身なりを整えた。チラッと振り返って先輩を見る。
「失礼しました」
「いいよ。じゃ行こう」
先輩は部室から出ると、当たり前のように僕の隣を歩いた。
これって、もしかして、守ってくれてる?
不思議だった。たったちょっとの間だったけど、あんなにも冷たい印象を受けた人と同一人物なんてやっぱり信じられない。
入学式の歓迎をしてくれたから、先輩は三年生だ。なのに、そのまま一年の靴箱まで一緒に来てくれる。助けてくれただけでも感謝なのに、すごくいい人。
「あ、あの、お名前伺ってもいいですか?」
先輩は「へ?」という顔になり、フワッと笑った。目が潰れるんじゃないかと思うくらい眩しい笑顔だ。
「智尋と同じくらい可愛い名前だよ」
可愛いの言葉になぜかドキッとしてしまう。
「綾光。糸へんの綾に、光で」
「綾光さん……素敵な名前ですね」
こんなにかっこよくて、紳士的で、名前まで綺麗なんて、まるで物語に出てくる王子様みたいだ。
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