序章

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 自己犠牲の精神を否定するつもりはない。  特撮のヒーローやアニメの主人公なんかに対する憧れも、人並みにはある。  けれども——  フィクションの内なら、傷なんかは簡単に癒えて、記憶を失ったとてハッピーエンドになることもあって。  現状、桐島さんがそうなるビジョンはない。  彼女自身が、毎日毎日難しい顔をして唸っているのが、良い証拠だ。  それなのに。 「神前さん、海外旅行の準備は出来ていますか?」 「いよいよあと数日に迫ってきましたよ、海外! 葵さん、体調の方はどうですか?」 「ヴェネツィアは、神前さんの憧れの地だというお話でしたよね。また、色々と聞きたいです」 「神前さん——」 「葵さん——」  垣間見える神妙な顔つきは、決まって盗み見ている時だけ。いわゆる横顔だけだ。  会話や来客、接客中にそれを見せることは、一度たりともない。  どころか、以前よりも努めて明るく、また冷静に振舞う。  傍から見れば、それは彼女の本質なのだろうけれど、僕には——  せめて、遠い異国の地では、それを忘れて過ごして欲しい。  どうか——どうか図書館の鍵だけは、開けずに済んで欲しい。  ただそれだけを願って。
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