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第一章 困窮
目を覚ますと真っ暗な部屋。
頭が重い。嫌な夢を見た気がする・・・憶えてないけど。
次第に暗闇に目が慣れてきた、ベッド横の時計の針が10時をさしている。
身体を起こして窓へ目を向ける。厚く閉じたカーテンの隙間から光が入ってきていた。
「外は晴れているんだな」
そう思うと同時に寝ぼけた頭がはっきりしてくる。
「あぁそうだった。」
思い出してしまった・・・現実は夢よりもっと嫌なものだという事を。
心が重いからか、身体の動きが遅い。ベッドからのろのろ起き上がり窓に身を寄せる。ためらいながらも、指でカーテン少し持ち上げ隙間から覗く。胸の内は祈るような想いだ。
私の部屋は2階で、家の裏手に窓は向いている。住宅街の裏路地を見下ろす格好で、外の景色が広がる。途端に大きな溜息をつく。重い頭を鈍い痛みが襲うようだ。
祈りは・・・叶えられはしない。目にしたくない現実が、やはり変わらずそこにある。この簡素な住宅街にそぐわない、気持ちを悪くさせる存在だ。
狭い路地をゴツい車が陣取っている。他の車の邪魔になるとか何とか、警察が取り締まらないものなのだろうか?
「やっぱりいるんだ・・・」
深い深いため息をつく。いなくなってくれる事を、毎日祈って期待してるのにな・・・
車には、常に2~3人の男が待機している。悪趣味な柄物のシャツにゴテゴテしたアクセサリー。揃いも揃って人相が悪くて、ゲラゲラと不快な笑い声を響かせる連中だ。昼間から缶ビールを片手に、運転席の男も。飲酒運転でしょ?でも車が動いてないから、ならないのか・・・
そう、ずっと動いてはいない。車は置いたままで中の男達だけが交代に、私達の家を見張っている。
ついつい考えながら見ていたら、フロントガラス越しに男の一人が窓を見上げた。慌てて身を引っ込めた。気付かれなかったと思うけど、見られたと思うだけで虫唾が走る。
「嫌だ、嫌だ嫌だ・・・」
これが私の置かれた状況、目を背けたくなる現実・・・どんな内容でもいい、夢の世界へと逃げ込んでしまいたい。
私は、数年前に隣町にある女子大を卒業して、就職はうまくいかず・・・派遣でちょっと働いたりしてた。
特に就きたい仕事なんて物もなく、将来の展望なんて物もない。最悪、父の経営する小さな会社に入れてもらえばいいか。とか思ってたっけ。
今にして思えば何て呑気で、そして幸せ者だっただろうか。
自宅は父の会社を兼ねており、『恩田事業所』の看板を出している。以前は従業員も2~3人雇っていた。通りに面する表側は会社の入り口なので、家族の出入りは裏手のこじんまりした勝手口を利用している。
この小さな町の中心地と言えるのは、駅前とそこから続く商店街だ。父の会社は商店街から幾分離れた住宅地に居を構えながら、数軒のお得意様を持ち細々と営業してきたのだった。
突然男達が現れたのが、1年前くらい。以前父が保証人になった知人の借金の取立てだとかなんとか。
彼らの『なんだか金融』は、この小さな町の駅裏にいつの頃からか看板を出していた。雑居ビルの一角に居ついて・・・他の居住者は逃げ出したので、現在はビルを占拠している形だ。
当時私は駅近くのデパートで、受付の仕事をさせて貰っていた。仕事仲間は皆、彼らを嫌悪して『タチが悪い』と頻繁に言い合っていた。私も駅裏には近づかないようにしていた。
(・・・まさか自分が関わり合いになるなんて、思ってもいなかった)
父は無論努力した。しかしあまりの暴利にかなわず、うちの蓄えはあっという間に底をついてしまった。狭い町の中で噂は広まってしまい、会社は信頼を失い経営もおぼつかなくなっていった。
私も派遣期間の延長は望めなかった。なにせデパートだから、チンピラみたいな男達が受付の周りにいられては困る。職場の方々は悪い人達じゃなかった。恨む事なんて出来っこない・・・巻き込まれたくなくて当然だ。
仕事を失くした私に、彼らは接近してきた。『仕事を紹介』・・・おぞましい気持ちに駆られた。怖くなって、家に逃げ込んでガタガタと震えていたのを憶えている。父も母もそれだけはさせないと言ってる。でも解決策が何もないと言う事実は変えようがないんだ。
たったの数カ月で、私達の生活は一変してしまった。
返済の貼り紙が家の表を全て覆う。体裁がどうこうなんて言う、気力ももう沸いてこない。あんなに快活だった父も、近所付き合いが好きな母も、今は色を失ってしまった。二人とも家の中でひっそりと息を潜めている。そう言う私も、引き籠るより他に方法がない。
こうして全てを奪われ追い込まれた私達は、彼らに見張られて・・・捕らえられている。
「ともかく、何か食べる物を買ってこないと」
うちには何も無い。父も母も憔悴しきっていて、まともに食べていないはずだ。
カーテンは開けたくないから、暗い部屋を手探りでそろそろと進む。電気を停められている訳では無いけど、払えないと分かっている物を使うわけにはいかない。
ベットから壁つたいに、クローゼットがあって本棚があって・・・さすがに自分の部屋だから、暗くてもぶつからない。当然本を読む訳はない。上に小物を置いてあるんだ。ハンカチやティッシュや、とうに死んでいるスマホやら。そして財布も。それなりに厚みがある長財布、商店街やデパートの会員証やポイントカードを入れたままだ。クレジットカードなんて物もある。一応社会人として、たしなみとしてね、持ってはいたわよ。
そして現金はと言うと千円札が4枚と、あと小銭・・・泣けてくる。この先どうしよう・・・
無慈悲な現実を、またもや叩きつけられた想いだ。
ぐらつく気持ちと身体をなんとか支えて部屋を出る。直ぐに階段があるので、手すりに身を預けるようにして降りる。洗面所で顔を洗い、伸びきった髪を一応梳かす。水道は、ごめんなさい最小限使わせてもらってます。
私の家は、1階部分の大半は会社のスペースで事務所として使っている。裏にこじんまりと居住区があって、洗面所とトイレとお風呂・・・ごめんなさい使ってます、深夜にこそっと。小さな居間が一室、襖一枚隔てて台所だからご飯はいつもここで食べていた。3人家族各々の部屋は2階なんだけど、両親は殆ど下の階で過ごしていた。
父は日々仕事、母は家事と会社の手伝い・・・だった。今こんな状況でも、その習慣が抜けずにいる。仕事人間の父と、それを支える母。私達家族は、決して裕福ではないけれど、小さな幸せで満足して暮らしていたんだ。
こみ上げてくる悲しみ、不安・・・憤りも無くはないけど、考えていても仕方がない。部屋に戻って着替えることにした。クローゼットから適当なシャツとスカートを選ぶ。
再度、階段から廊下を裏口へと向かう。間取りとして、通り道に居間と台所がある・・・その戸は閉じられ、ひっそりとしていた。
裏口とは言え、玄関みたいな物だから靴箱は必要不可欠。私もそこそこお洒落に気を使う方だったしね。パンプスやサンダルが並ぶ中から、取り出したのは運動靴だった。
もしも全身を映す鏡があったなら、がっかりして項垂れていた事だろう。
お洒落っ気も何にもない格好だ。以前の私だったら『こんなの恥ずかしい!』って間違いなく言った。
でも今は、いつ何時男達が襲ってきて全速力で逃げなきゃならない・・・事態になっても不思議じゃないんだ。そんな事を想像すると心臓が破裂しそうだ。胸をおさえて、運動靴の脚の震えを止めて、とにかく出かけなきゃ。
「いってきます」
シーンとした真っ暗な家の中では、大声を出さなくても私の声は届くはずなんだ。でも返事はない。父も母も、居間か台所かのどこかにいるはずなんだけどな・・・
不安が募ってきて、家の中を探しに行こうかとも思った。けれど留まった。
父と母がどんな様子でいるのかは想像がついていた。顔を合わせた所で、かける言葉も思いつかない。
(きっと元気でいる)そう信じている方が気が楽なのだった。
そしてこれから私はとても嫌な目に合う。外に出る以上、相応の覚悟を決めなければならない。
何度も何度も深呼吸を繰り返して、『行きたくない』と言う身体に鞭を打ってそろそろと歩み出す。なるべくこっそりと、勝手口を開ける。きぃという小さな音すら気に掛かる。
男達の車は、この勝手口を見張る為に家の裏手に停めているのだ。だから開けば当然見つかる。彼らはわざわざ車を降りてくる。別に用事なんかない癖に、ただからかいに出てくる。うらうらと嫌らしい笑いを浮かべて近寄って、路地の片隅で囲まれてしまう。
「お嬢さんお出掛けですか~?なにデート~?」
「そりゃないでしょ。職安とか?」
「必要ないって言ったでしょ~お嬢さんなら即採用の仕事があるよ~」
私は無駄に背が高いもんだから、小さくなる様に首をひっこめて、急ぎ足で男達の間を縫おうとする。大きく腕を広げて、行く手を阻もうとする。不意に突進するような真似をしてくる。
「きゃっ!」って小さな悲鳴を漏らすと、面白そうにゲラゲラと笑う。
不愉快で気持ちが悪くて吐きたくなる。でも実際に手は出してこない。恐らく上の人間から命じられているのだろう。暴力沙汰となれば警察も動くのだろうし。
(いっそその方がいい・・・)
怪我でもさせてはくれないものだろうかと、変な望みを持ってしまう。
しかし結局は、いつもそうする様に私は彼らの腕をかいくぐって逃げる。
少し走ると男達は追っては来ない。いつもそうする様に笑いながら車へ戻る。
『どうせ逃げられやしない』とタカをくくっているのだろう。私は離れた場所でふり返り、憤慨する。
(なにが『お嬢さんなら』よ。馬鹿にして!若い女なら誰でもいい仕事でしょ!)
それにしても・・・ふと周りの景色が目に入る。ご近所の家と、私達は良好な付き合いをしていた。すぐ隣の家のおばさんは母と仲が良くて、私も顔が合えばおしゃべりした。でも今日みたいな天気のいい日に、どの家も厚くカーテンを閉ざしてしまっている。
男達がたむろするようになったからだ。洗濯物を干したり、散歩に出たりするのも躊躇しているみたい。
(申し訳ないな・・・うちのせいで・・・)
家から歩いて10分位で、お店の看板が多く出ている通りに出る。
歩道の上に屋根がかかって、お店が整然と並んでいて。それが駅前の交差点まで続く、小さなこの町の商店街だ。
一応一番の繁華街と言っていいのかな?お弁当屋とかラーメン屋とか、ゲームセンターもあるし。ただちょっとデパートに負けてる感は否めないけど。私も買い物は住宅地に近いスーパーマーケットに行くつもりだし。
じゃあなんでこっちに来たかと言うと、お目当てのお店があるからで。しかも買い物じゃなく・・・
商店街の入り口あたりに、割と大きな個人商店の電気屋さんがある。子供の頃は前を通るのが楽しみだった。今でもショーウィンドウに絶賛売り出し中の、大画面TVを飾っている。音も外まで聞こえる程に出している。
いい大人でありながら、子供時代に戻ったみたいであれなんだけど。我が家ではTVは見れないし、新聞は止めてるし、スマホはとっくに死んでるし。
ここで立ち止まって、ニュース番組を観る事が、『せめて人間らしくありたい』と願う私の日課だった。
時間はお昼過ぎ、普段ならニュースから情報番組に切替わっている時間だが、今日はまだニュースが続いている。
どうやら海外で大きな事件が起こっているらしい。アナウンサーの男性も女性も真剣な眼差しだ。海外の事情に詳しいコメンテーターがゲストに来ていた。その人が饒舌に語るところによると、
中東のなんとかっていう小さな国でクーデターが起きて、王政国家が乗っ取られた。クーデター派は新政権樹立を宣言している。但し、国際連盟はその行為を認めてはおらず、テロとの認識が強い。日本もまた国際連盟に同調する構えだ。国王と王妃は国外へ逃れたという情報はあるが、逃亡先と安否は不明だという。この戦乱で多くの一般人が死傷した・・・との事だった。
女性アナウンサーが痛々しい表情でコメントする。
「非戦闘民の女性や子供まで大勢犠牲になるなんて、恐ろしい事ですね」
思わず前のめりになって夢中で観ていた。
戦場カメラマンが抑えたらしき、戦場の凄まじさに目を奪われてしまった。家は焼け、ビルは倒壊している。
ふっと我に返った。小さな商店街の昼下がり、たいした人通りが無いとはいえ、ずっと立ってると変な目で見られる。多少顔を赤らめて、何事もない風を装って歩き出した。
胸に押し寄せるのは、どことも知れない国の惨状。あれだけ街が破壊されているのだから、多くの人間が亡くなったのだろう。
女性アナウンサーに同調する気持ちが湧き上がる。
「そんなに犠牲者が出てるんだ・・・可哀想に・・・」
つぶやいた後、私は自虐的に笑ってしまった。(人に同情できる立場なわけ?)
このまま通りを真っ直ぐ進めば、駅前に出る。途中に職安がある。あるにはあるが・・・ヤクザに絡まれてる、厄介な家の娘を使ってくれる職場なんてあるものか。デパートの仕事だって、派遣会社を通して打ち切られた。
(全部あんたらのせいじゃないか!)
商店街を外れると、徐々に高い建物は姿を消す。自宅付近の住宅地とも違って、目の前の景色が開ける。
町から郊外に入ると、緑豊かな自然が広がり始める。
道幅の広いゆったりとした車道に、殆ど車は走ってこない。歩道もまた悠々行き来が出来る程に広い。左右の歩道に沿って銀杏並木が植えられていて、季節が訪れれば金色の小路となる。道路と反対側に目を向ければ、緑の芝生に包まれた広大な土地。
市民公園て言うのかな? いや奥には木が茂っているから、森林公園ってゆうべきかな。
家からちょっと遠いけど、子供の頃は自転車で遊びに来たもんだった。ちょっとした冒険気分が味わえた。あの森みたいな所まで小路が続いていて、友達とおっかなびっくり向かっていったっけ。
そう言えば、森の向こう側に建物が見えたんだった。鬱蒼とした中に聳える凄く大きい石造りの建物・・・子供心には何だか怖くて、走って逃げたっけ。父に聞いてみたけど、「危ないから」って怒られただけ。きっと知らないんだろうな。
公園には子供の頃の懐かしい記憶があった。それに私はこの辺りを学生時代も通っていた。だから、銀杏の映える時期にはまだ早いけど・・・もう少しこの通りを散策してみようと思った。
景色は見慣れたものばかりで、そしてだからこそ思い入れのある場所もある。
「バス亭だ・・・」ゆったりとした道路を路線バスが走っている。なんだか長閑な風景に思えた。バスは駅を経由して、このバス亭に来る。そしてもっと都会な雰囲気の隣り町へと通じているんだ。
(その隣り町に憧れて、大学に入ったんだよね。いつもここからバスに乗って通ったっけ)
バス停と常設のベンチ、懐かしい想いで佇んだ。もしバスが着たら止めちゃうとこだった。
赤い屋根の可愛いカフェ、これも変わらずにバス停前にあった。
(バスの空き時間とか、よく寄り道した。紅茶の香りが好きだったな・・・)
本を読んだり、友達と話したり。恋ばなとかもね・・・泣いた事もあったかも。青春の1ページと言える思い出のある場所だった。もう一度、紅茶とケーキでまったりとしたい。
ほんの数年前のことが、遠い昔に思えて涙が溢れてきた。
夕食の買い物は、この通りを商店街と逆方向に進むスーパー。お惣菜が値引きされる夕方を狙って行くつもり。
(だから時間だけはたっぷりとあるんだけどな)
惨めさを思い返して涙ぐむ、立ち直れずに足が進まなくなってしまっていた。
(やばい、大泣きしてしまいそう・・・)
けれど、気配を感じて涙を留めた。実際道端で泣いてるとおかしな人だから、止められて正解だったけど。
交通量の少ない道だから、どうしても車が走ってくると目につく。反対車線の白い車が何気に目に入ったのだった。涙でぼやけたせいで、一瞬判別がつかなかった。ただ『車』という事だけで、嫌な発想が頭を過った
「あいつらの車?」
私は身構えた・・・が良く見ると違う。平和な軽自動車だ。
ゆっくりと軽自動車は私の横を通り過ぎて行った・・・と思って暫し眺めていたら、少し走った先で停車した。
なんだか急停車っぽい。停まるとすぐさまドアが開いた。車の運転席と助手席から、それぞれ男性が降りてきた。二人とも長い白い服を着ている。医者の格好みたいな。車を挟んで、何か言葉を交わしている。それから、歩道で眺めてる私を指差した。
(・・・ん?やっぱり目的は私なの?)私は改めて身構えた。
「私が話します!」
少し遅れて後ろのドアから降りた女性が、彼らに声を掛け留まらせた。この人も白衣を着ている。女性は一人で向かって来た。アラフォー位かな?遠目にはすらっとして綺麗な人に見えた。
近くで見ると髪のセットが乱れているし、化粧も落ちかかっている。ずいぶん疲れてるみたいだな。
「いきなり済みません、恩田リカさんですね」
(名前を知ってる。誰なんだろう?)そんな心の声が伝わったのだろうか、彼女が自己紹介を始めた。
「私はこうゆう者です」渡された名刺を見てみると、
『絶滅動物保護・育成補助団体 東日本第三支部 研究所主任研究者 御杯 恵那 』とある。
名字はこれ『ミハイ』と読むのかな?動物愛護団体の人達?まったく自分との関係が思い当たらない。
「よろしければ、少しお話を聞いて頂けないでしょうか?」
そう言って、結構年下の私に頭を下げる。すごく礼儀正しい人だな・・・私はなにせ時間だけはあるものだから。
「はい、構いませんけど・・・」
「ありがとうございます。立ち話は何ですから、私共の施設へおいで下さい。」
「施設?」ちょっとだけ神経が過敏になっていた。
何処かへ連れて行かれる?軽自動車と、乗車している男性達にちらっと不安な視線を送った。
それも感じ取ったのかも知れない。御杯さんは柔らかい笑顔を見せた。
「いえ、すぐそこです。歩いて行けます。あの林の向こう側です。」
彼女が指差したのは、広い公園の先に見える木々だった。
「えっ?」・・・それは、あの大きな建物の事に違いない。
子供の頃の他愛のない思い出として、ちょっとだけ気に留めたあの建物の正体がこんな形で知れるなんて。
(こんな偶然、あるもんなんだな)
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