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揲は屋敷から本殿へと向かおうとしていた。
朝っぱらから篤驥に呼び出されていたのだ。
本当は行きたくなかったがわざわざ侍女を介して断るのもかえって面倒くさかったのでおとなしく本殿へ向かうことにした。
しかし、いざ紲御殿の門の前に来ても篤驥や迎えの人らしき姿はない。
桃の木が一本、図太そうに生えているだけだった。
当然だだっ広い城のつくりなど覚えていないからあてもなくぷらぷら歩くことにした。揲はジッとしているという行為を知らない少女だったのだ。
紲御殿から離れようとしたその時「ねえ、君!」と揲を呼び止める声がした。
迎えの人物かと思ってあたりを見回すも声の主らしき人物はいなかった。気のせいだろうと再び前を向くと慌てたような声が飛んでくる。
「上だよ、上!」
上と言われても特にピンとこない。三秒ほどたってようやく言葉の意味に気がつき傍にあった桃の木の上に目をやる。
そこには一人の青年が木の幹に震えながらしがみついていた。その顔は恐怖に歪んで真っ青である。
「助けてくれ!俺、高いところダメなんだ!」
必死の形相で彼は揲に助けをもとめた。その迫力にどうしたものかと考えをめぐらせる中で揲はまじまじと怖がる彼を見つめた。
「あなた……大人、ですよね?」
なぜか自信なさげに声が小さくなってしまった。
それとは反対に彼の声は開き直ったかのように大きくなる。
「なんだよ⁉大人がこわがっちゃ悪いの⁉いいからはやく上ってこい、クソガキ!」
クソガキ、という言葉に腹が立ったので近くにあった石ころを彼の顔面めがけて投げてやった。
見事その礫の弾丸は青年の額に命中し、そのはずみで体勢をくずした彼はそのまま地面に落ちていった。
ドサッという鈍い音と共に広がる砂埃の中揲はやってしまったと頭を抱えた。
あの高さから落ちたとなると足の骨の一本や二本折ってしまっているかもしれない。打ちどころが悪いと最悪の場合は……。
その時は葬式くらい出てやろう。さすがに殺すつもりのない人間を殺してしまったとなるとこちらも目覚めは悪い。
揲は未来のかわいそうな自分を想像してため息をつく。
やがて砂埃がおさまって彼の姿があらわになる。その様子に揲は思わず息をのんだ。
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