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16京極明
ホンダの軽商用車アクティ・バンの運転席に着いたまま、晩飯を済ませた。
唐揚げ弁当。毘沙門天顔の麻薬王浜松が経営する県南スーパーの惣菜売場からかっぱらったものだ。
一億円もの大金――灘に殺されかけていたヤクザに百万円をくれてやったから、正確には九千と九百万円――を強奪していながら、京極明は麻薬王浜松の懐に唐揚げ弁当の代金が落ちるのだけはどうしても我慢がならず、わざわざ危険を冒してまでして万引きしたのだった。
ついでに言えば、ホンダ・アクティ・バンも盗難車だ。県警トップである本部長京極警視長の息子である京極明は、警察組織というものをとことんまで知り尽くしている。現場警察官というものは、自動車の盗難届を受理はするものの、その捜査には決して着手しないのである。管内を巡回する警官たちもまた、仮に不審な車両を目にしてそれが盗難車であることが判明したとしても、わざわざ馬鹿正直に摘発するような愚を犯さない。理由は単純明快。自動車の盗難事件は星の数ほどもある仕事の中でも特に面倒極まりないからだ。そうでなくても現場警察官というものは目が回ってぶっ倒れそうになるぐらい忙しいものである。警察官は常に書類の作成に追われている。くどいようだが息をつく暇もないぐらいの忙しさである。それをわざわざ自分から進んで面倒に足を突っ込み、仕事をさらに増やそうとする者などいない。もしもそういう警察官がいるとすれば、それはほぼ例外なく警察学校を出たばかりの新人警察官だが、上司やら先輩やらに仕事を増やしてくれるなと叱責される。ようやく盗難車を見つけ出したとしても、被害者からは感謝されるどころかむしろ罵倒される。盗難車が完全な状態で発見されるケースは皆無だからだ。これで大抵の新人警察官は盗難車摘発というものに完全に懲りてしまい、二度と盗難車には関わろうとしなくなる。盗難車は見てみぬふりをするに限る。そんなふうに思うようになる。それが人間というものだ。警察官もまた官憲である前に生身の人間なのである。すなわち、自動車窃盗犯が盗難車を乗り回そうとも、十中八九は捕まらない。もしも足がつくことがあるとすれば、それは窃盗犯が盗難車を運転中に交通事故等のアクシデントに遭遇して重傷を負い、逃げるに逃げられなくなったときぐらいのものであろう。あるいは酒に酔うなどして、誰の目にも明かなほどの酩酊状態にありながら盗難車を乗り回すなどしたときか。もちろん京極がそんな愚かしい真似などするはずもないのではあるが……。
京極は唐揚げ弁当を残さず平らげた。それから、これまた県南スーパーからかっぱらった緑茶で喉をすっきりさせ、ホンダ・アクティの車外に降り立った。
廃工場の敷地内であった。アクティ・バンと並べてバキュームカーが停めてある。これも盗んだものだ。バキュームタンクの内部には新鮮な糞尿が満載してある。この盗難バキューム車こそ、警察は絶対に見てみぬふりを決め込むに違いない。
京極は一億円(正確には九千万と九百万円)の入ったスポーツバッグをバキュームカーの助手席に投げ入れ、それから颯爽と身を躍らせ、運転席へと乗り込んだ。
イグニッションを回した。ディーゼルエンジンが始動した。アクセルを吹かすと排気管は真っ黒い煙を吐き出し、ディーゼルエンジンはトルクフルな唸りをあげた。
「わっはっはっはっ」
京極は、丸刈りにした頭を仰け反らせながら、声も高らかに笑った。
バキュームカーは発進した。ディーゼルエンジンは呪われた黒煙を吐き出しながら地獄のような唸り声をあげ、猛烈な勢いで加速してゆく。バキュームカーは廃工場から瞬く間に遠ざかってゆき、やがて月明かりの彼方へと消えていった。
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