同行三人

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同行三人

 夏の盛りである。  佐々木主水が先頭に立って、小高い丘陵を登っていく。西の方角には山城がみえる。田中城である。  ここ藤枝には、田中藩が置かれていた。田中城は藩公の居住した城なのだが、一度、幕府直轄地となり、駿府藩に編入された(のちに再び田中藩ができる)。  駿府藩主こそ、家康十男の徳川頼宣(よりのぶ)である。  ……頼宣は、まだ二歳にして水戸二十万石の大名に列せられた。晩年の家康にとって幼い息子たちの将来を案じた処置なのだろうが、その後、駿府藩主、さらにのちには紀州徳川家を創生させることになる。  いま、頼宣はようやく十六歳になったばかりである。  将軍秀忠(ひでただ)は、頼宣にとっては長兄にあたるが、歳の差はじつに二十三歳。兄ではあるが、父であっても不思議ではないのだ。このあたりに、江戸初期の人間模様の奇妙さが伺われようか。  ……剣の腕前には自信がないと()らした佐々木主水だが、かれの背後からついて歩く夢之介には、 (なかなかどうして、多少の心得、いや、意外と腕は立つ……) と、新鮮か驚きを禁じえなかった。  どちらかといえば、ずんぐりとした体型だが、足の運び、その油断なさには、多分に武芸者の名残りがあった。 「どちらで学ばれた?」  いきなり背後から夢之介がたずねた。 「は……? なんのことかの?」 「剣……を学ばれたはず」 「いや、それがし、あまりにも修行が苦しくて逃げ出してきたくちでござるよ」 「師の御名(おな)は……?」 「新免(しんめん)……いや、宮本武蔵(みやもとむさし)さま……と申したほうが、いささか名は知れてござろうか」 「耳にはしたことはあります。たしか、西のほう……」 「ええ、姫路にいた頃。宮本先生の付け人のような、連絡番のようなことをしておりましたので。なんとか駿府藩に仕官できましたのも、先生からの一筆がものをいいましての、いや、ただそれだけのことで……ははは」  笑いでごまかした佐々木のからだつきが、一瞬、細まって背がのびたように夢之介の目には映る。 (惑わされまいぞ)  おのれにそう言い聞かせ、じろりと與作のほうを振り返った夢之介は、少年の顔色が青ざめていたのに驚いた。  ふいに與作は足を停めた。 「その名を聴いた上は、ご相伴(しょうばん)いたしかねますっ!」  はっきりとした、やや強い語調に、佐々木の足も停まった。  ふたりが與作の顔を喰い入るように見つめると、少年はなおも身体を小刻みに震わせた。 「どうした、與作……吐き出したいことあらば、いまのうちに申し出よ。腹に一物……は、よくないぞ」  夢之介がいった。  問い(ただ)す口調ではない。歳の離れた兄が弟を案じるかのような声のやさしさは、與作に届いたろうか。なおも貝のように口を閉ざした與作は、あたかも佐々木主水と仕合(しあ)うがごとく、半歩退(しりぞ)き、腰の重心を落とした。  武芸者同士が剣を交える寸前の構え……であった。 「ひゃあ、よ、よしてくれ……わしゃあ、なぁんも人さまに恨まれるようなこたぁしとらんだぎゃ」    佐々木が叫んだ。いまにも泣き出しそうな顔だ。  それまでの“それがし”口調から、打って変わって普段遣いになっている。  ところが夢之介はなにも言わない、止めようともしなかった。   「若殿(わかどの)、なんとか、してくれなんせ」 「いや、このさいだから、仕合(しお)うてみるのも一興……佐々木(うじ)の隠された素顔をみたいものです」 「そ、そんな、わしゃ、ほんまに、腕に自信はなかとよ」 「一体、あなたはどちらの(さん)なのです? 諸国の地訛(ことば)が入り混じっていますよ」  そう言った夢之介は、突然懐かしい三次(さんじ)容貌(かお)を思い出してしまい、佐々木が哀れにもみえた。相手にそんな感情を抱くようでは、夢之介はまだ仲裁人にはなれないだろう。おのれの未熟さに気づいて、ようやく真っ向から與作を叱りつけた。 「いいかげにしろ。仕合(しあ)うならば、相手を殺す覚悟がなきゃだめだ。與作には、この人は斬れまい」 「は、はい。つい、宮本武蔵の名を聴いて頭に血がのぼっていました」 「ん……? 武蔵どのは、おまえの……?」 「父上の(かたき)なんです。母からそう聴いていました。父の顔を知らずに育ちましたから、仇の名だけは忘れまいと……」 「詳しい経緯はわからないが、このひとがおまえの父を殺したわけではないのだろ? ならば、弟子を斬ったところで、なんになる? いや、いまのおまえには、佐々木(うじ)には(かな)うまいぞ。それに、このひとは……話に出た宮本武蔵とはなんら関わりのなき人とみた。さきほどの咄嗟(とっさ)の身構えの気迫は……新陰流(しんかげりゅう)とみました。柳生でしょうか、それとも、奥山派かな?」 「ん……な、なんと、若殿(わかどの)は、そこまで見抜かれましたか……奥山一刀流を多少ですが、たしなみましてござる」    佐々木主水が白状した。いや、事実誤認を正そうとしたのだ。どうやら宮本武蔵の付け人をしていたのは真実であるらしかった。  奥山一刀流は、奥山休賀斎(きゅうがさい)がひらいた一派だが、もと(本流)は新陰流である。  ……上泉伊勢守が、新陰流の始祖であって、なにも独立した柳生新陰流や奥山新陰流が存在したわけではない。柳生の剣も、あくまでも新陰流から派生した一つの流派に過ぎないのだ。すなわち、正確には、新陰流柳生派と呼ぶべきものであろうが、柳生新陰流の呼称は、江戸後期から明治維新後に世に喧伝(けんでん)されたもので、この物語の時代に、なにも柳生新陰流が独立独歩で存在したわけではない。  けれど、いちいち説明するのももどかしいので、後世の通称のまま、柳生新陰流とか奥山新陰流(奥山一刀流)と呼んでおくことにしたい。  さて、佐々木主水はまだ喋り続けている……   「……宮本先生から剣の技を盗もうと、つかず離れず一年余を過ごしましたが、その(かん)、ついに先生が抜刀されたのを見かけたことはごさらなんだ。けんど、推薦状をしたためてくださったのは事実でござる。與作さんや、詳しい事情はわからんが、そ、それがしは敵ではごさらぬぞぉ」  ふたたび元の“それがし”侍に戻った佐々木は、こほんと咳払いして乱れた羽織のしわをのばした。その一連の所作(しょさ)に與作の激情も納まったようで、 「悪うございました」 と、深々と頭を下げた。 「いや、なに、悪いもなにも、まだ、ようわからんだぎゃも。そのあたりの話は、これから潜入する賊の砦でゆっくりと聴かせてもらうことにして、まずは、先を急ぎ……」  故意に語尾を濁した佐々木主水は、何事も起こらなかったかのようにくるりと(きびす)を返した。  夢之介もふたたび無言になって佐々木のあとに続いた……。  
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