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賊の棲家
曲線を描いた小川に囲まれるように積まれた巨石に跳ねた落陽の光が、夢之介の目には眩しく、瞬時に身を屈めたとき、
ビューン
と飛来してきたものを叩き落としたのは與作であった。、
すでに佐々木主水は抜刀していて、襲い掛かる賊の一人が投げた鎖鎌を解くべく奮闘していた。
砦の正門に入る直前の出来事であった。
(一体、なにがどうなっているのか……)
夢之介の思念の流れが止まった。
(罠だったか……! 佐々木も騙されたのか! 駿府藩内に賊と通じている者がいたということか……!)
それだけ考えれば十分である。鉄笛で飛来してくる手裏剣を払いつつ、夢之介は巨石を蹴って跳躍んだ。
「や!」
誰が発した声であったろうか。くるりと宙で向きを変え、着地する寸前に親玉らしい男の肩を鉄笛で打ち据えた。
「ぎゃあ……!」
倒れた男を踏みつけるように、続々と砦から新手の一群が飛び出てくる。
夢之介は與作が長槍へと接合したれいの武器を振り回している様をみて、
「中へ……!」
と、叫んだ。巨石を乗り越えて與作を砦内部に侵入させることで、敵を撹乱するしか手はないのだ。夢之介は地に落ちていた枯葉を手で払っては賊に投げつけた。やわらかな落ち葉が、匕首のように賊の首や目や頭部を刺し貫く……。
その技をみた男たちは、呆然として立ち竦んだかのようにみえた。
叢から脱した夢之介が、斜面を駆け上がろうとしたそのとき、……殺気が背後から衝ってきた。
「や!」
くるりと振り返り様、夢之介は落ちていた賊の大刀を拾い、柄を握りしめた。
構えに入る直前、襲来者の顔をみた。
「あ……! おまえは……!」
このとき夢之介は初めて知った。目の前の顔は、あの三島宿の主人の隣にいた番頭ではないか……!
「な、なんだ、おまえかぁ! 刀を納めぃ……おまえたちとやり合う気は毛頭ない。ただ談合にきただけのこと……」
夢之介が声を張り上げのは、そうすることでこの場では敵意がないことを相手に知らせるための合図のようなものであった。
喋り続けることで、対峙する敵との間合いを取り、さらに、與作や佐々木に自分の居る位置を報せることができる。
「どこの忍びだ? 江戸か? 伊達か? 加賀の前田か?」
思いつくままに夢之介は声を張り上げる。なにも襲来者の素性を知りたいのではない。そうすることで、相手に思考する間を与えるのだ。かりに公儀隠密であったならば、伊達や前田の名に、はたと考えてしまう間を与えることになる。それが、隙を生み出すのだ、煙幕を張るようなものなのだ……。
「なあ、どこのどいつかぐらい、明かしても罪にはならんだろうよ」
「お、ん、み、つ……ではないわ」
ついに相手がことばを発した。つい思念してしまい、考えてしまうことで夢之介に瞬時の余裕を与えてしまったのだ。
「伊賀者?……あるいは、甲賀……武田?」
思いつくままに、夢之介は喋り続ける。あえて惚けたさまを装い、夢之介は敵の視線を自分一人に引き付けようとしていたのだ。そうすることで、佐々木や與作に行動の余裕をもたらすことができよう。
「わたしは、なぜ、狙われている?」
そんなことまで夢之介は言い出す。なんでもいい、口にすることで、相手の気を逸らすのだ。
ひとは追い詰められると、本来ならば決してとらない行動に奔ってしまうことがある。
まさにこのときの夢之介がそうであった。冷静沈着なはずのかれは、それとは真逆の行動をとることで、敵の主力、すなわち首領格を呼び招こうとしていたのだ。生死を賭ける場において、ひとが饒舌になるのは、往々にしてある。喋り続けることで、次のおのれの行動を見定めようとするのである。
と、夢之介の目の前に覆面した巨漢が立った。
さきほどの顔見知った番頭はすでに夢之介の足元に斃れている。ついに姿をみせた巨漢の手には、長刀が握られていた。
相手の構えをみてとった夢之介は、
「鹿島新當流かっ!」
と、叫んだ。
新當流の祖ともいうべき塚原卜伝は、柄を含めない刃の長さだけで三尺(約1m前後)はある長刀を好んだと伝わる。
「む、む……」
巨漢がためらいの声を発した。瞬時に流派を見抜かれてしまったその衝撃であったかもしれない。
「や……!」
やりとりの間隙を縫って、突き進んできたのは巨漢のほうであった。
……夢之介は相手の一閃を跳ね除けると同時に、鍔に添えるようにして左手を上、右手を下にして柄を握り変え、そのまま柄頭を右手のてのひらのなかに包み込んだ。
瞬時に刀身の切っ先は地についている。
鞍馬古伝 秘剣 逆手十文字。
夢之介の得意技である。
朝の船出を見送る麗美人を、おのが手でつかまえ、待て待て……と名残りを惜しむ風情に見立てた、鞍馬古剣流に夢之介独自の工夫を加味し編み出した秘剣であった。
あたかも船を漕ぐ艫のごとく、土を掘り返す鉄槌のごとく、自在に綿布を縫う針のごとく、おのれの殺気を、あたかも忽然と現れた幻の麗美人の姿のなかに埋没させてしまうのである。
「……ほ……ほぅ」
感嘆の声が巨漢の口から洩れ出た。
すでに、夢之介の秘剣が生み出した幻の麗美人の姿を、その巨漢は視てしまっていたのであった。
船出を見送られるのは、おのれであったか……と、ついに悟ったときには、夢之介が打ち下ろした刃が、巨漢の右肩から腕にかけて炸裂していた。
「ぎゃあ」
一声を放った巨漢は、おのれが叫んだことすら自覚はなかったはすである。ただ、このとき、かれの目には岸辺に佇み、薄笑いを浮かべた女人の姿が映っていたかもしれない。
急所は外れている。
夢之介の配慮であったろう。
右手から放たれ地に落ちたおのれの長刀を拾う余裕もなく、巨漢は無言で駆け去っていった……。
拾った刀を地に投げ捨て、鉄笛を腰にもどした夢之介は、
「夢殿」
と、走り寄る與作の姿を認めた。
「……大勢の女人が囚われておりました」
與作が解放したのであったろう。すると、なかの女の一人が夢之介に近寄って、
「首を長くして、お待ち申しあげておりました」
と、囁くような低声でいった。
「夢之介様でございますね……徳川本宗家、徳川夢之介様……」
まだうら若いその女は、夢之介の前でいきなり両膝を地につけた。
おりしも落陽が放った閃光が、夢之介の全身を地に映し出した。その影が跪いた女人の顔に落ちて、細く長く揺らぎ続けている……。
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