襲い来たる者

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襲い来たる者

「おまえが夢之介とか申す浮浪人かっ!」  夢之介の目の前で槍をしごいていたのはそこそこまともな身なりの武士であった。月代(さかやき)は剃っていない。  この時代、江戸幕府草創期は、のちに丁髷(チョンマゲ)と呼ばれる武士の髪型はさほど定着してはおらず、まだ乱世の名残りが色濃く、髷を真上に突っ立てたり、おもいおもいに垂らすなど、視覚的には化け物のような風体がふつうなのだ。顔面には(ひげ)があるのが当たり前で、それもまた戦国の名残りといっていい。のちに幕府は周囲の者を威嚇するようなヒゲを生やすことを禁じる法令を出すのだが、まさに他者への威嚇と威厳の創出こそが、おのれの髭と頭髪の形に依拠(いきょ)していると錯覚する侍がすこぶる多かった時期……といっていい。  その事情(あたり)を考えると、夢之介が()の当たりにしている槍の武士はすこぶるな風体であった。  そのことに夢之介は嘆じていた。 (さしずめ小藩の重臣か、剣術指南役か……) と、すばやく夢之介は察し鉄笛を青眼(せいがん)に構えた。 「き、きさまぁ、おれをなぶるのか!」  それにしてもよく怒鳴る男である。  いやそうすることで夢之介の表情の変化を探ろうとしていたのであったろう。  一連の槍の動きから、夢之介は相手が中條流か興福寺古流(宝蔵院流)の槍術の遣い手と見抜いた。鉄笛を大刀に見立て、槍先をかわすことで(すき)を生じさせて相手の戦意を(くじ)くのがこのときの夢之介が瞬時に選んだ戦法であった。 「なんだぁ……お、おまえは刀を()んではおらぬのかっ!」  その声とともに男が放っていた殺気が霧散した。 「夢さまぁ」  菊結(きくゆい)が現れたのは、夢之介もまた鉄笛を腰に差し戻したあとである。 「こちらの御仁(ごじん)は、敵ではありませぬ」  菊結は、矢を放った敵は藤十郎とかれの配下の者が追い散らしたと短く告げた。 「なるほど、それでは……」と、夢之介は槍の武士に向かって、 「そちらは第三の追手というところでしょうか」 「ん……? おまえ、なにをのんきなことをほざいておる。義理もないのに、わしの弟子どもが加勢してやったのだぞ」 「さようでしたか。それは痛み入ります」 「ほ……ことば遣いはまともじゃの。御方(おかた)様が惚れた丈夫(おのこ)がどれほどの腕前か、しっかとみておきたかったゆえ、槍を構えたまでのこと。もとより敵意などはないぞ」 「おかた様……?」 「かつてこの地で(れん)という名で(はし)の名をとどろかせたと聴き及んでござる」  本来は嬌名(きょうめい)という。  嬌名を馳せる……とは、芸者などが評判を取るという意である。  けれどもこの槍の武士は、それを“(きょう)”に掛けて言ったのである。なかなかに憎い配慮(はからい)であったろう。主君の奥方の前身がなんであれ、嬌名という言葉を避けた咄嗟の機転は、凡庸(ぼんよう)(あら)ずと告げたようなものだ。 「では、簾女(れんじょ)は……?」 「いまは当藩の奥方であられる」 「さようでしたか……して、どちらの大名家でございましょうや」 「いや、それは申せぬ。じゃが、出来星(できぼし)大名じゃによって、由緒(ゆいしょ)など無きに等しゅうござる。それにこの先、いつ改易(かいえき)になるとも限らんからの」    改易とは、お家が取り潰されることである。家康の死後、たとえその家康の息子であっても改易の()き目に()った例もあるほどで、徳川一門、譜代大名といえ、永劫(えいごう)安泰(あんたい)という保証はなにもないのだ。  そのあたりのことは、おのれの血脈によって夢之介自身が痛切に感じていたことであったろう。 「それがし、山田太郎左衛門(たろうざえもん)と申す。こうしてそなたを待ち受けたのは、わが若君の父は、果たして、殿様か、それとも、そちらなのかを見極めるためでござるよ」  ぽつりと告げた太郎左衛門のことばに、身体を震わせたのは夢之介ではなく、菊結(きくゆい)のほうであった……。
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