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父と子
出立したはずの宿に再び舞い戻った夢之介は、山田太郎左衛門といういささか風変わりな槍遣いを伴って、ささやかな酒宴をひらくことにした。
というべきか、それもすべては如才ない藤十郎の機転というもので、このさい、将来にわたって味方になり得る者をことさらに遠ざけまいとする配慮であったろう。
太郎左衛門が伴っていた弟子は三名しかおらず、いずれもまだ紅顔の青少年で、世間擦れしていない表情や物腰を藤十郎は好ましくおもったのかもしれない。
「いやはや、弟子どもにまで馳走くださるとは、これはまた世話をかけるの」
隣室で弟子たちの傷の手当をしていた菊結と藤十郎に太郎左衛門は気さくに声をかけた。つい先刻まで夢之介と対峙していた相手とはおもわれないほど普段使いのことば掛けには、さすがに世慣れた藤十郎ですら内心舌を巻かざるを得なかった。
菊結は二人の会話には入らず、それとなく太郎左衛門を観察している。
夢之介はいない。
宿の主人とともに、道中奉行の配下の役人に書院で事情を訊かれているのだ。白昼の表通りで襲われた以上、なにがしかの答えを告げてやらねばなるまい。こういうときには、遊侠人風体の夢之介のほうがむしろ相手に与える印象はいい。
「そなたらの主どのは……」
いきなり太郎左衛門が切り出した。確かめずにはおられないことを夢之介が居ないうちに訊いておきたかったのであろう。
「……あ…それにつきましては、手前どもは五年前のことは一切存じませぬ」
藤十郎は日頃の上方訛の語調をころりと変え、あたかも商家の番頭かなにかのような口調で低姿勢に徹している。
「慌てるでない……かつて、御方様と何があろうと、それを咎め立てしておるのではないのだ。そういうことは、まま、あって当然……過去をいちいち穿り出しては、あちらもこちらもたまったものではあるまいよ」
「は……さ、さようでございまするな」
「ふむ、むしろ、われらの若君のまことの父があの青年であったならば、わしとしては重畳と申すもの……多少、変わり者とはいえ、腕も立ち、見栄えもよきおとこじゃからの」
変わり者の太郎左衛門が、平然と夢之介を変人呼ばわりしたことに、そばで菊結はこみあげる笑いを噛み締めていた。
「え……と、では、なんのお咎めもなく……」
藤十郎は重ねてたずねた。そのことをまずはっきりさせておかなければ、話は先には進まない。
「当たりまえだ。ただ、知っておきたかったのだ、かの有名な戦国武将、島左近どのの末裔たる者の姿を、の」
「え……?」と、振り向いたのは菊結であった。
「夢さまが、島左近の名を口にされましたのでしょうか?」
「おお、そうよ。御方様にそのように告げたそうだ。左近どのの孫か曾孫かは存ぜぬまでも、さすがにの、島左近どのの血筋だ、の」
どうやら山田太郎左衛門は剣豪武将に対しては殊の外寛容であるらしく、夢之介を島左近の血筋だと信じて疑がっていない太郎左衛門の表情をみて、菊結は唖然となった。
……なんとなれば、この菊結こそ、島左近の外孫に当たるのだ。
(夢さまは、簾女に、島左近の末裔などと自慢されたのだわ……さすがに徳川信康公の御名は出せなかったのかしら)
そう得心しつつも菊結の胸の内はざわついていた。
……島左近は、大和の筒井順慶に仕えたのち、豊臣秀長(秀吉の弟)に仕官した。その後、いくたびかの変遷を経て、ついに三成に請われて石田家の配下となった。
こんな唄が伝わる。
治部少(三成)に過ぎたるものが二つあり。島の左近に佐和山の城。
当時、やっと四万石の大名(佐和山城主)になった三成は、なんと二万石の高禄で島左近を召し抱えたという。だが、これはのちの世の創作であろう。むしろ関ヶ原の戦いでは、島左近は生き延びた、という伝説が各地にいまも残っている。
ちなみに。
島左近の娘、珠は、柳生利厳に嫁いでいる。この柳生利厳こそ、柳生兵庫助の名で知られる尾張柳生の始祖なのである。
兵庫助は柳生本家を継ぐべき立場にあったが、剣術修行の旅に出た。叔父にあたる柳生宗矩が、家康、秀忠に仕え、いまや幕府惣目付(のちの大目付)の地位にある。のちに、この宗矩が一万石を獲て、柳生藩の初代藩主となるのである。つまりは、兵庫助は、故郷を追われた果てに、尾張徳川家に仕官するかたちとなり、この尾張柳生と江戸柳生の確執は、明治維新後になっても続くことになる……。
(そうだわ……)と、菊結は奮い立った。太郎左衛門が夢之介を島左近の末裔だと勘違いしているのなら、そのままにしておいて、むしろ、尾張の珠女を頼って、尾張柳生と繋がるべきなのではないかと、菊結はこのとき思い至ったのだ。
(どうして、今のいままで、尾張のことが念頭に浮かばなかったのか……そうだ、尾張へ行くべきでは……)
なにかと優柔不断な夢之介に喝を入れてくれるのは、剣豪の名が高いかの柳生兵庫助を措いてほかにはいないのではと、菊結の内に新たな闘志が沸き立ってきた。
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