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奇妙な依頼人
一言で野武士、郷士といっても、たとえば與作のような歴とした由緒正しき家の末裔もあろうし、突如として目の前に現れ出た得体の知れない侍もいる。
街道役人の姿がないのをいいことに、なにやらよからぬ企みがあるのだろう。そうおもった與作は、一歩前に進み出た。夢之介をかばうつもりなのだ。
「童子には用はないのだ。それがし、そちらの若殿に相たずねており申す。阻むべからずっ!」
「な、なにぃ!」
與作も負けてはいない。
初対面でのことばのやりとりは重要で、最初に引いてしまったほうが分が悪くなる。位負けしてしまえば、あとの手順に綻びを生じさせかねない。
「そういきがらんでもよいではないか。それがしはなにも喧嘩を売っているのではござらぬぞ。助力を請いたいと、かように申しておるだけだ」
「まずは名乗られよ」
平然を装い、與作は武芸者のような返答をした。
「おおっ、これはこちらの粗相じゃ。つい、うっかりしておった……それがし、駿府藩、街道目付役、佐々木主水と申す」
「は……お、お役人……さまぁ……?」
気勢を削がれた與作はたちまち顔を赤らめた。その様を察した夢之介は、
「これは失礼をば……」
と、答えながら、與作を退かせた。
「その御身なり……わたしと同様の、流浪人かと早合点してしまいました」
率直に夢之介が頭を垂れると、佐々木は、
「いやいや詫びるには及びませぬぞ」
と、いやに低姿勢で応じてきた。
「……助力を請いたいのはこちらでござるゆえ」
「して、ご用のおもむきは?」
「それがしを若殿の家来にしてもらいたいのでござるよ」
「け、家来と申されましたか……?」
「いかにも。これから賊どもが隠る山城へ参ろうと存じましてな。それがし、剣におぼえはなく、なにぶん独りでは賊退治は無理……そこで妙案を思いついた次第……」
「み、妙案……?!」
鸚鵡返しに夢之介がたずねる。なかなか依頼内容の核心がみえてはこないのだ。
すると、
「まずは……」
と、佐々木が指差したのは、路傍の巨石であった。そこに座ろうという誘いであったろう。
無言で頷いた夢之介が岩の端に腰を下ろすと、佐々木が隣に座った。ふたりの背後に回った與作はそのまま佇んでいた。夢之介と佐々木のやりとりをしっかり聴きたかったのだろう。学びの起点は、まずは聴くことからはじまる。余談になるが、政治の要諦も、“聴く”ことにある。大陸(中国)古代の諸国家では、君主が民の声に耳を傾けることを第一義と位置づけ、ここから、聴政という単語が生まれた。それは朝政(天子のまつりごと)の語句と重なることでより重要な哲理となっていった……。
與作は誰に教えられるともなく、しぜんとそのことを感得したのであったろう。
佐々木主水は一方的に喋り続けた。
「……三日前から、ずっと通りを歩く侍の姿を観察しておりましてな。盗賊の頭目に相応しき人物はいずこなりやと眼を押し開いてみておりましたら、やっといまの今、若殿に遭遇したというわけなのでござる」
媚びる意図があるのか、佐々木はしきりに、若殿を連発する。若様ではなく、若殿というのは、単に、お若いあなた……という程度の意味であったろう。けれどなんとも耳障りはいい。
そばで聴いている與作ですら、ぐいっと覗き入ってしまうほど巧妙な言辞である。
「わたしに何をしろと仰せなのですか?」
話の要領がつかめず夢之介はさすがに苛立ちを抑えるのに必死だ。
「ですからでござる。若殿に、そ、たとえば江戸の大盗賊の頭目の倅……になっていただいて、それがしを引き連れ、砦に乗り込んでいただきたいのでござる」
「賊を捕縛せよ……と?」
「いやいや、さにあらず……明後日、それがしが手配した追補方が、鉄砲隊を率いて駆けつける段取りになってござるゆえ、それまで、奴らが逃げ出さないように、江戸の盗賊の元締の代理として、いろいろ話を持ちかけて刻を稼いでいただければ……」
「そ、そんな悠長なことでよろしいのですか?」
しぜんと夢之介の語気が強まる。
事あるごとに菊結や藤十郎から、優柔不断だと責められてきた夢之介である。そんなかれが苛立つのは、のらりくらりとことばを重ね続ける佐々木主水の性向に、もしかすれば自分もこんなふうに周囲の者をいらつかせてきたのだろうかと思い至ったまさにその反動のようなものであった……。
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