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9
さらに二年が経ったとき、それは突然に起きた。
女の住処が何者かにより襲撃された。
夜中、簡単な盗みの仕事を終えて女の住処に戻った忌み子は、明らかな違和感に気づいた。
いかなるときも立っているはずの見張りの姿がどこにもなかった。入り口の扉は蝶番が外れ、斜めに傾いていた。
あたりを警戒しながら忌み子が住処に踏み入ると、血の海が広がっていた。
見覚えのある男たちと見覚えのない男たちが、そこら中でこと切れている。どれもこれもから血が流れ、服を伝って床を赤く染めていた。
忌み子は、物陰に隠れながら慎重に住処を捜索した。生きている者の姿はない。どいつもこいつも死人ばかりだ。
死体を避け、あるいは踏みつけ奥へと進む。そうして、最奥の女の部屋にたどり着く。
扉に耳を当てるが、人が動く気配はない。
扉の鍵は開いていた。音を立てぬようゆっくりと押し開け、中の様子をうかがいつつ部屋に入る。
血塗れの死体が三つ。どれも見知らぬ男のものだ。おそらくここを襲撃した奴等だろう。
その奥に、女がいた。
壁に背を預けて座り込み、赤く染まった腹を抑えて俯いている。覆面の下半分が降ろされ、素顔があらわになっていた。
よくよく見ると、肩がわずかに上下している。死んではいないがこちらに気づいてもいないようだ。
その姿を見て、しかし忌み子には何の感傷も湧かなかった。そのかわりに湧き上がったのは、ようやくこの日が来たという高揚感だった。
できる限り足音を殺して、女のところへ歩み寄る。
女まであと三歩というところで、気配を察したのか、女がゆっくりと顔を上げた。苦しげな目と美しい瞳で、忌み子の顔をまっすぐに見る。
実に五年ぶりに、忌み子が口から声を放つ。
何があったんだと、忌み子が問うた。久々に声が聞けたなと、女が笑った。
誰にやられたんだと、忌み子が問うた。心当たりが多すぎてわからないと、女が笑った。
なぜ女が笑っていられるのか、忌み子は理解に苦しんだが、構わず女を蔑むことにした。
ざまあみろと、忌み子が嘲笑った。女は笑みを浮かべたまま何も言わなかった。
罰が当たったんだと、忌み子が罵った。女は笑みを深めただけで何も言わなかった。
これでようやく自由になれる、忌み子がそう言い放つと、女はようやく口を開いた。
――そうだな、お前なんてもういらない。さっさと自分の家へ帰れ。
その言葉を、忌み子は理解できなかった。
自分の家だと。そんなものはもうない。お前が家族を、村人を皆殺しにしたんだろう。
次々と放たれる忌み子の声が、死にかけの女をなじる。そこへ、女の口がさらなる言葉を紡ぐ。
――バカが、小さいとはいえ村ひとつ。私ひとりで皆殺しにできるわけがない。殺したのは、あれただひとりさ。
その言葉を、忌み子はすぐに理解できなかった。
ふざけるなと、忌み子は女につかみかかった。襟元を締め上げ、女の顔を正面から見据える。
忌み子にとって、女の顔を見るのは、初めて出会ったあのとき以来だった。
記憶の中に残っていた女の顔はただただ綺麗だったが、目の前にある女の顔はただただ美しかった。
そこで、忌み子はあることに気づく。
女の覆面の上半分がずれて、髪がわずかにはみ出している。その色は、まるで――
忌み子の手が女の覆面を掴み、乱暴に取り払う。
この瞬間まで、忌み子は女の髪を見たことがなかった。忌み子の前では、女は常に覆面をかぶっていた。女の顔も髪も、常に覆面の下に隠されていた。
――ついにバレたか。まぁ、もう隠す必要もない。
ふわりと広がった女の髪は、忌み子と同じ灰色をしていた。
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