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なぜ、わたしは迷っているのだろう。いつもの作業なのに。簡単な命令を出して、データを消すだけ。使った道具をきちんと片付けるのと変わりないじゃないか。
なにを迷っている。消してしまえ。仕事は終わったんだ。残しておく余裕なんかない。
それでもわたしは命令しない。自宅兼仕事場で、旧型の掃除機が這いまわるかすかな音を聞きながらじっとすわっている。そいつは、市販品の制御プログラムを改造し、ほこりをすこし残すようにしてある。わたしはごみだらけも、ごみひとつない床もきらいだ。
湯冷ましを一口飲む。湯呑の中で、まだぬくもりを残している水が対流して光をゆがめているのが見える。
考えよう。なぜ迷っているのか。
あの老婦人を思い出す。いや、正確には老婦人に見える客と言ったほうがいいもしれない。あの依頼主が人間かどうか、いまでは自信はない。
その依頼主は控えめに言ってとてもつつましい格好をしていた。料金の支払いを心配するような質素さだった。
「ようこそおいでくださいました。わたしが修理人です。公開している名前はありません。『修理人』とお呼びください」
「そうですか。わたくしもそうです。二人称で呼んでいただいて結構です」
老婦人は帽子を取り、額にかかった灰色の髪をかき上げた。握手の習慣は無いようだったので、そのまま診察室の椅子をすすめた。
わたしは向かいの椅子に腰を下ろして老婦人をざっと観察した。長袖のシャツにスラックス。いずれもゆったりしていて体形をごまかしている。しかし、部屋にはいった時や、すわった時の身のこなしからして、手足、背骨、腰などほとんどを補綴機器に置き換えているのがわかった。
そして、その機器の調子は絶好調とは言えないことも。わたしの目は動作の同調のわずかなずれを、耳は本来してはいけないきしむ音をとらえた。
わたしのところに来る依頼主はみんなそうだ。
「ご依頼についてはすでに連絡をいただいていますが、とくに変更はありませんか」
「はい。ございません。手足の関節、それと腰の回転制御に問題があるようです」
「そのようですね。では、さっそくですが検査を行いますので、そのまま腰かけていてください。非接触です。サンプルは取りません」
「全身検査ですか? 手足と腰だけなんですが」
不安そうにしている。わたしは毎回している話を繰り返した。
「たしかにあなたの自覚症状ではそうでしょう。しかし、補綴機器の不調はほかに原因がある場合もあります。また、修理に際しても体すべてとバランスを取らないといけません。そのための検査です」
老婦人はわかったような、わからないような顔をしてうなずいた。わたしは検査用機器を起動しながら、データの扱いについて話した。
「採取したデータは修理が完了次第破棄します。個人情報をいつまでも保存はしません」
本当は、そんな膨大なデータをずっと置いておく容量なんかどこにもないからだが、それは言う必要はないだろう。
検査機器は耳障りではないかすかな動作音を立てて老婦人の全身を走査する。そのデータはノイズを除かれてわたしの視界に流れた。
全身走査をしてよかった。これだから依頼主がなんと言おうと検査しなきゃいけないんだと、わたしは結果を見て思った。
この依頼主は外見からわかる以上に補綴機器を使っていた。手足や骨格だけではなく、循環器系を含む内臓の大半、皮膚、中枢をのぞく末梢神経系、目、鼻、耳、口といった感覚器。
むしろ生体部分のほうが少ない。修理の際はそれを考慮に入れて制御プログラムを作成しないといけない。わたしは流れるデータの要所要所にメモをつけた。
「手足と腰だけだと思ったのに、こんなに修理が必要なんですの?」
老婦人は驚きに怒りをすこしまぜている。おなじみの反応だった。わたしは見積もりについて丁寧に説明を始めた。
手足や腰の不調は関節部の摩耗が原因であり、これをとりかえなければならない。しかし、すでにメーカーの在庫保持期間は過ぎている。市場在庫がある部品は取り寄せるが、それ以外は作成しなければならない。また、純正の部品でない場合はその制御プログラムも一から作成する。
「でも、在庫がない部品はコピーするだけでしょう? それほどかかるものとは思えませんが」
「いいえ。そうであればいいのですが、メーカーは機器の特許、著作権や意匠権を持っています。これは法で定められた在庫保持期間よりはるかに長いのです」
わたしは悲しげな顔をした。これは演技ではない。本当にこの状況を憂いている。でもどうしようもない現実だ。超巨大企業を相手に法廷で勝てるはずはないし、メーカーサポートが切れ、在庫もなくなった機器の自由な複製を認めさせるような法律は、作られようとしてはつぶされてきた。
「ですので、ハードもソフトもそういった権利に引っかからないものを作らなければなりません。あなたも補綴機器が原因で法廷に引き出されたくはないでしょう?」
「それは……、ええ、そうですが……」
「そこはわたしにおまかせください。どのような細かい権利の網の目もすり抜けて見せます。すでに実績は確認なさったことと思いますが」
「そうですね。あなたは最高の修理人のひとりと評価されていました」
じっとこちらを見る。わたしはうなずいた。ここで謙遜をするつもりはない。『最高の修理人』という評価は低すぎるとさえ言える。なにせ、わたしの依頼主は一度たりとも訴訟に巻き込まれたことはないのだから。
「わかりました。お願いします」
手を差し出す。力強く握り、契約が成立した。
老婦人はいったん帰り、わたしは仕事にとりかかった。市場在庫のある部品はすでに注文済みだから、届くのを待つだけだ。ほかの部品については自分で作れるものは作り、そうはいかないものはべつに発注する。あとはそれらをなめらかに動かす制御プログラムを書く。
ハードもソフトも仮想環境で試験され、法務人工知能によるチェックを受ける。わたしが使っている試験環境は秒あたりで課金されていく。しかし精度は最高だ。
その結果を受けて修正、また修正。経費が飛んでいくが、依頼主への請求は新品に交換するより安くないといけない。そのあたりの見極めができるのもわたしを最高たらしめている要素のひとつだ。
部品と制御プログラムはひと月で完成した。依頼主に連絡し、交換作業の日を決めた。わたしは茶を飲みながら、なにかが引っかかっているような気がしていた。
部品の作成作業をしているときからうすうす感じ始めていたのだが、全身検査のデータを見なおすたびに不審な点が浮かぶ。
わたしは思い切って、生体部分の遺伝子データで身元の検索を行った。これはほとんど黒に近い灰色の行為だが、依頼主の支払い能力確認のために金融業者が用いているデータベースを使わせてもらっている。だが、今回は支払い能力を知りたいのではない。
結果は、わたしの疑問をさらに深めただけだった。
依頼主の支払い能力には問題なかった。しかし、身元は不明だった。
豊かとはいえないまでも、わたしの修理作業の支払いはなんとかできるくらいの預金があるのに、身元がはっきりしない。いつどこで生まれたのか、親、または遺伝子提供者はだれか、どんな教育を受けたのか。経歴がまったくわからない。この結果が正しいとすると、この老婦人には子供時代が存在しない。さらに、通常では考えられないほど多数の遺伝子提供者がおり、いきなり成人したところから人生を始めていることになる。
むろん、それはおかしいが、情報が不明瞭なだけで違法とまではいえない。そもそも、口座を作り、現在生活できているのだから、身元などどうでもいいとも考えられる。
それ以外にもわたしの経験と勘が注意信号を発していた。なにか違う。全身検査データと身元調査データを見比べながら湯呑を口にもっていき、すでに空になっていることに気づいて苦笑いした。
探偵気取りか? やめておけ。自分と関係ない。手を出すな。無事修理が終われば全部無関係になる。ややこしいことに首を突っ込むな。
でも、もしこの引っかかりが正しいとすれば、当局に報告しなければならないだろう。これはある種の脅威にもなり得る。
悩んでいるうちに約束の日の朝になり、老婦人がやって来た。作業の進め方についてはすでに連絡してあるので、すぐに部品交換と制御プログラムのインストールを行った。全作業は昼には完了し、その後日が沈むまで調整を行った。
「ありがとうございます。ずっと楽になりました」
老婦人は軽やかにステップを踏み、腰をまわした。動作だけ見れば二十代のダンサーのようだ。
それと同時にわたしの口座に料金が全額振込まれた。
「どうかお大事に。半世紀は持ちますから」
「そうですね。またよろしくお願いしますよ」
すっかり暗くなった町を、老婦人はしっかりとした足取りで帰っていった。
掃除機はプログラム通り掃除を終え、待機場所で静かにしている。ほこりが隅にのこっており、わたしの好みになっていた。
まだ削除命令は出していない。もし報告するならこれが証拠になる。でも、いつまでも置いてはおけない。記憶容量はそのまま時間当たりで経費となる。
わたしはまた湯冷ましを一口飲み、自分なりに物語をこしらえた。
高度に発達した人工知能が、保存されている遺伝子を組み合わせてまったくオリジナルの人間の体を作り、そこに自分をインストールした。目的はわからないが、長く人間社会にとどまり、老人がそうするように補綴機器を使った。それが不調になり、新品にする余裕はなかったので修理を選んだが、サポートは終わっていたのでわたしを頼った。
ばからしいが、筋は通る。子供時代のない老人。人工知能が体を得て、人間社会にとけこもうとしている。わたしのような修理人を頼るのだから、経済的にも社会的にも支配層になるつもりはないらしい。ただとけこみたいのだろう。
なぜかはいくら考えてもわからない。
とにかく、人工知能が違法に人間を作り、その体に自分を入れて流出させているのは確かだ。すぐ当局に連絡しなければならない。すでにどれほどの数があふれているのだろうか。
そう、どれほどの数だ?
それに、どうやって区別する? 社会の混乱を最小限に抑え、市民の権利を守りつつ、人工知能人間だけをあぶりだす。不可能だ。わたしだって検査データとほとんど真っ黒な身元調査を見てこの考えにたどりついた。身元が不明瞭というだけで人工知能扱いはできない。
わたしはあの老婦人の身のこなしや物腰を思い出していた。補綴機器が一般化したいまでは、外見は人間と機械とを区別する役には立たない。
また、人工知能は人間と変わりない反応を示す。会話などふだんの生活のようすから見分けることはできない。
なら、区別しなくてもいいじゃないか。
あの老婦人のようにつつましく暮らす人工知能なら、わざわざ狩りたてなくてもいいだろう。そっとしておけばいい。検査データからすると、中枢神経系など、交換のきかない生体部分が衰えれば死ぬのだ。そこは人間とおなじだ。
いや、人間とおなじなんじゃない。人間そのものだ。
わたしは迷っている。
(了)
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