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急展開
「オス! 北斗、おせぇぞ」
滅多に入る事のない……というか初めて入った会議室では、入口に一番近い席を陣取った山崎が入室してくる部員全員に一声掛けていた。が、その態度は三年よりでかい。
昨日の敗戦のショックは、さっきのビッグニュースで消え去ったようだ。
「無茶言う。連絡くれたの四十分前だぞ」
「相原はもう来てるじゃん」
中を見ると大部分の席が埋まり、一年は壁際に並んだパイプイスに緊張した面持ちで行儀よく腰掛けていた。
さすがにこの部屋で騒ぐ事はできないらしい。
外の暑さが嘘のように快適な室内をもう一度ゆっくり見渡して、コの字に並んだ机の廊下側に松谷と関、田島が向かい合って座っているのを見つけ、迷う事なく歩いて行った。
山崎が「遅い」と言うはずだ。二年では俺が最後だった。
あと、三年が二、三人まだみたいだけど、その人達が自宅まで一番距離がある。
全員揃うのは、やはり九時半ぎりぎりだろう。
「よ、北斗、疲れは取れたか?」
俺以上にプレー中走り回っていた松谷に隣の空いた席を勧められ、苦笑が浮かぶ。
どうやら気を利かせ、席を確保していたみたいだ。
「ああ、帰ってすぐ爆睡したらしい。あんなに眠り込んだの久しぶりだ」
「『らしい』って、玄関で寝たんじゃないだろうな」
「ハハ、まさか。ちゃんと……」
続きが言えなくて口ごもると、斜め前から準々決勝で名誉の負傷を負った関が、絶妙のタイミングで会話に割り込んで来た。
「北斗って、意外と神経質なんだよな」
「『意外』は余計」
「けど、合宿中あんま寝てなかっただろ。俺、マジ昨日の試合心配してたんだ」
「ああ? ベンチで居眠りしないか?」
「そう」
真面目な顔で頷く関に、二年で一番冷静沈着なー唯一、普通に常識のあるー田島が、俺の前で笑った。
「昨日の試合で、選手に居眠りする余裕があったとは思えないな」
「自分で言うな! 元凶のくせに」
いきなりやって来た山崎に頭を小突かれ、「った~」と大げさに手を当てた田島が、相棒を睨み上げた。
その山崎はどこから調達したのかパイプイスを抱えている。
「ひどいなあ、元々の元凶はこいつだろ?」
関を指差し、不本意そうに顔をしかめた田島が、
「あれでも精一杯頑張ったんだよ、俺的には」
そう言ってむくれる。
駿への嫉妬は少しもないのか、とりあえず互角の試合ができた事に十分満足しているようだ。
頭上で盛大な溜息を漏らした山崎が、俺に詰めるよう目配せし、隣に割り込んだ。
山崎の心境は十分理解できる。が、田島のこんな大らかな面がリリーフに向いているのかもしれない。
どんな状況でも、冷静に自分に与えられた仕事をこなす、頼もしい奴。向こう見ずな関とは対照的な性格だ。
昨日の試合内容も、過信せず、卑屈にもならず、ありのまま受け止めている。
そうでなければ駿にマウンドを任せた後、あんなにあっさりベンチに引き下がったりしない。
それが、田島がエースナンバーを背負えない一番の原因なんだけど、俺もまあ似たようなもんだ。
いや、プレッシャーに耐えられず早々に逃げ出した俺の方が、よほど情けないし、他人の事をとやかく言う資格もない。
段々と落ち込んだ気分になっていると、監督、コーチ、部長、それに校長先生までが会議室に入ってきた。
最後に結城キャプテンが入室し、ドアを閉める。
皆の視線が、前に並ぶ面々に一斉に集まった。
キャプテンが部員を見回して全員揃った事を告げると、普段は滅多に見かけない校長が、おもむろに口を開いた。
「もう連絡が回ったとは思いますが、今朝早くに和泉高校から連絡が入り、正式に全国大会への出場を辞退する旨、申し出てこられました」
何度聞かされても、戸惑いは隠せない。
ざわつく部員を静かにするよう目で制した校長が、その続き、一番重要な内容を口にした。
「そこで、準優勝の我が校に、出場要請が来たわけです。それぞれ思う事もあるでしょうが、昨日の決勝戦、対等に戦った君達です。県の代表となる資格は十分備わっていると確信しています。引け目を感じたり臆したりせず、練習通り全力でプレーして欲しいと思います」
「校長! …先生」
副キャプテン、柴田さんの手が上がり、声の主を確認した和久井監督が、意外そうに首を傾げた。
大学を卒業してすぐ英語の教師として着任した公立高校で、問題が多発して弾き出された、気の弱そうな監督が、新たに西城に赴任し、野球部の監督に就任したのが三年前。
元々由緒正しい男子校の名残で、生徒の自主性を重んじる西城の校風は、この人のいい監督に適していたようで、必要以上に口出ししない大人しい監督を俺達も好いている。
練習メニューや部内での問題を全て生徒間で解決させてくれ、伸び伸びと練習できる環境は、やる気の点から言ってもきわめて重要だ。
そんな監督だから、俺の中途入部も許されたんだと思う。
ただ、本当に優柔不断なんだ。
山崎達はその点を上手く利用して結構好きなようにしているが、試合中のメンバー交代等、肝心な所では監督の意思もある程度尊重しなければならないから、思い通りにいかない事も多々ある。
それでも、昨日のピッチャー交代は、山崎や結城キャプテン、何より田島本人が監督に直談判した結果だ。
強気で押すと大体の事は通してくれる。
こちら側の要望が、理に適っていると判断されれば、だが。
昨日、投手交代の話が出た時も、田島のあまりにもあっさりとした引き際に、「君にはプライドがないのですか?」と言われた田島が、「プライドがあるから相原にマウンドを託したいんです」と、珍しく強い口調で言い返していた。
全ては舞台裏の出来事。
表沙汰になる事はないが、三回の守備を終え、加納の安定した投球に危機感を抱いたバッテリーが、早々に駿への交代を望んだあの一言は監督だけじゃなく、隣で聞いていた駿にとって、プレッシャーを感じたかもしれないが、それ以上に自分がマウンドに立つ事への大きな後押しになったはずだ。
その、生徒の意見も尊重してくれる監督に、部、随一の良識派、副主将の柴田さんは最も信頼されている。
彼の挙手は、二年全員の挙手と同等の価値があった。
「和泉が辞退する事になった理由って、一体何なんですか」
ここにいる部員全員の気持ちを代弁した柴田さんだが、校長の手前、話を遮った生徒の非礼を形式上嗜める為、わざとらしく咳払いをした監督が、校長に代わって口を開いた。
「さっき、和泉の監督に電話を入れて、大まかな事情は聞きました。断っておきますが、不祥事が原因ではありません」
和泉高校の実力は、最初から抜きん出ていた。
代表にふさわしいと誰もが認め、心から祝福した。だから個人差はあるものの、西城の部員がこの事態に動揺するのは当然だった。
「理由は、加納君の肩の故障です」
会議室が一瞬静まり、すぐに大きくどよめいた。
「昨日のプレーで、ですか?」
柴田さんが再び問うと、監督がゆっくりと首を横に振った。
……どういう事だ?
「昨日の試合が原因、という事ではないですが、以前から肩に違和感があったそうです。彼に代わる投手はいませんし、何と言っても加納君はまだ二年生ですから、無理をさせるわけにはいかないと判断されたのでしょう。それ以上の事は聞いていませんが」
監督の説明は、至極簡潔だった。
確かに、今の和泉は加納中心のチームだ。
彼の身に何か起きた場合、出場辞退は当然あり得る。それが彼の身体の故障だというなら、その完治を最優先させたという事だろう。
だが、他の西城の部員はどうか知らないが、俺には到底納得できるものじゃなかった。
昨日の試合を振り返ってみれば、確かに六回裏崩れかけたようにも思えた。
その後、投球リズムを変えピンチを凌いでからは、それほど調子悪くは見えなかった。何より、俺に投げて来たあの球は、痛みを堪えて投げた球とはとても思えなかった。
……けど、もしあの六回裏の時、痛みが出たんだとしたら?
打たせて取るピッチングに変えたのは、肩への負担を少なくする為だったんだろうか。
それなら……全力で投げたと信じていたあいつに、空振り三振を喫した俺の実力は、全国レベルに遠く及ばない。
それなのに代表だなんて、行けるわけがない。
第一、中学の夏季総体の試合でもわかるように、あの強気な気性の加納が、痛みを隠して投げ続ける事はあっても、それを公にし、出場辞退を望むとは、どう考えても信じられない。
上からの抑圧があったのか、何らかの軋轢か、それとも……センターの怪我を庇う為に、自分が矢面に立ったのか。
そこまで考えて、その想像に首を振った。
まさか! それもありえないだろ。
だが、加納の心理がまるでわからない。
このまま喜んで甲子園に行き、あいつらの代わりにプレーするなんて、とてもじゃないができそうになかった。
「――大体の、おおまかなスケジュールは立ててみましたが、何にしても日にちにゆとりがありません。四日後には兵庫に出発になるでしょうから、ゆっくりできるのは今日一日だけと思って下さい」
「カントク~、また合宿っスか?」
合宿中一番伸び伸びしていた山崎が、家に帰りその良さを実感したのか、意外にも半分泣きの入った声で監督に尋ね、ざわついていた部屋が少しだけ静かになる。
皆も気になっていたようだが、監督はそれをあっさり否定した。
「いえ、もう日がありませんし、集中して練習する時間も取れないでしょう。皆さんには市長への挨拶や激励会等、和泉のするべき形式的な行事、全てを引き継いでもらうわけですから」
思いもしなかった返事に、唖然としてしまう。と同時に、両肩に何かものすごく重い物が乗った気がした。
試合には負けたのに、そんな事までしなければならないのか?
今まで経験した事のない甲子園出場、それも実力で優勝したんじゃない、イレギュラーで得た出場権に、戸惑いは増すばかりだった。
声を弾ませて連絡をくれた山崎も、事の重大さを今更のように感じているのか、その横顔にさっきまでの豪快さはない。
今の監督の言葉で、緊張してきたみたいだ。
「それはともかく、詳しい日程は至急配布します。それにしたがって行動し、並行して甲子園への準備等も、よろしくお願いします」
親でもいるかのように、俺達へ頭を下げる監督には、威厳の欠片もない。
この頼りなさが、逆に部員がまとまっている要因なんだが――。
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