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「監督、お願いがあります」
解散後、その頼りない監督にわらにも縋る思いで駆け寄っていた。
退室しかけていた結城キャプテンが何事かと振り返る。けど、その方がありがたかった。
「俺、どう考えても納得できません。和泉高校に行かせて下さい、加納に会って直接理由を確かめたいんです」
無茶を承知で頼み込んだ。
俺のプレーが起因になったセンターの選手の怪我。
そのせいでの出場辞退の可能性がある以上、どんな顔して甲子園でプレーできるっていうんだ。
案の定、監督とキャプテンが揃ってあんぐりと口を開け、俺を見た。
「成瀬君、もしかして昨日の和泉の選手の怪我を、気にしてるんですか?」
ぽやんとしててもさすが教師、鋭いところを突いてくる。
「そういうわけでは……」
「なら、どういう訳なんだ?」
図星を指され言い淀んだ俺に意見したのは、何かと俺を引き立ててくれるキャプテンだった。
「北斗が納得できなくても決定は決定だ。今更覆るものじゃないし出発まで日もない。一人だけ勝手な行動を取らせるわけにもいかない。それはお前自身が極力避けてきた事だろ?」
キャプテンの言う通りだ。
今までどれほど結城先輩に頼まれても前に立たなかったのは、もう二度と部や学校の皆に嫌な思いをさせたくないと身に沁みて感じているからだ。
野球で手を抜くような真似はできないし、どんな事があっても全力でプレーする、そう春日さんにも誓った。『最善を尽くす』と。
けど、それ以外で俺が何かすると、また皆が迷惑を被るかもしれない。
それが怖い。
自分じゃどうにもならないメディアの力は、まるで津波だ。
突然押し寄せ、無防備な者を襲い、平穏な日常を奪い去って行く。
後にどれほどの被害を残すか、まして傷付く者がいるなど考えもしないんだろう。
「――それでも、直接会って、話してみたいんです」
「怪我をした当人ならともかく、全然関係ない者の所へ行ってどうするんだ。もちろん怪我をした選手の元へ行く必要もない。元々お前のせいじゃない。北斗が気に病む事なんかないし、お前の行動を相手がどんな風に受け取るかもわからない。そんな危険な真似はさせられないし、絶対に許可できない。諦めろ、もちろん私的で行く事もだ」
監督より、キャプテンにはねつけられた。
反対はある程度予測していたが、まさかキャプテンにそこまで強く止められるとは思いもしなかった。
「部の代表でなんて全然考えてません。どうして個人で会うのも許されないんですか」
「お前ら、初めから単独で会ったりする仲じゃないだろ。相手の身にもなってみろ。見ず知らずの奴に折角手に入れた代表の座を譲るんだ。殴り合いにでもなったら、こっちも出場停止か、悪くすれば――」
「別に、喧嘩しに行くわけじゃありません」
『転ばぬ先の杖』のごとく未来の心配ばかりするキャプテンに、堪らず言い返していた。
珍しい…というか、俺にとっては入部後、初めての反発だった。
「こっちにその気がなくても向こうはそう思わないかもしれないと、さっきも言っただろ」
「そんなの、会ってみないとわからないじゃないですか」
決め付けるような言い方をされつい口ごたえしたが、これは条件反射みたいなものだ。頭ごなしに反対されれば反発したくなる。
自分はまだまだ子供だと思い知らされる、感情の吐露。
いつもと明らかに違う俺を、首を傾げ様子を探る結城キャプテンは、大人びた雰囲気の春日さんとは対照的に、友達感覚で後輩に接するフレンドリーなキャプテンだ。
アウトドア派の元気一杯な少年、というイメージは、中学で初めて出会った頃とあまり変わってない。
言いたい事は包み隠さず口にし、「『どっちでも』と言われるのが一番嫌いだ」と豪語する、はっきりした気性の人だ。
だからなのか、物事は白黒きっちりつけたがる。
「くどいな、北斗。お前らしくもない、何熱くなってんだ?」
不思議そうに訊かれ、俺自身、自分の気持ちが掴めずもどかしくてたまらなかった。
これほど感情的になるなんて、確かに普段の自分からは考えられない。
だが、どういう態度を取れば俺らしく見えるんだ?
それに、そんな事を一々考えながら行動する奴なんかいない。
たとえ俺らしくないと言われても、今の俺はやっぱりこうする。
「加納はそんな奴じゃない。俺はあいつの友達です。中三の時から知ってる。俺の、最大で最高のライバルなんです」
黙って話を聞く監督と、頑として譲りそうにないキャプテンに、加納一聖という人間を知って欲しくて、必死になって弁護していた。
「吉野の剣道のインハイ会場に行けたのは…試合に間に合ったのは、監督や結城キャプテンのおかげももちろんあります。けど、加納が駅から会場まで自転車に乗せてくれたからなんだ。『そいつ、勝ってるといいな』って俺に言ってくれた。練習帰りで疲れてたはずなのに、ほんとに一生懸命……」
加納が別れ際に寄越した、屈託のない笑顔が脳裏に浮かび、不意に声が詰まった。
どんな理由があるにせよ、あいつらが甲子園に行けなくなるなんて絶対嫌だ。
その想いが溢れそうになるのを、かろうじて抑え、声を絞り出した。
「そんな奴と喧嘩なんか、するわけない」
それ以上何も言えず、唇をかみ、拳を固く握り締めた。
俺が個人的に知っているのはそのたった数分間だけ。しかも後日、山崎に教えられるまで本当は全然気付かなかった。後はプレー中の加納しか知らない。 それで相手の全てがわかると思うのは、俺の思い上がりなのかも。
ただ、自分の中の何かが、あいつに強く拘らせている。それだけは確かだった。
「それなら、なおさら加納に会いに行くんじゃなく、甲子園のグラウンドで答えるべきじゃないのか」
キャプテンの諭すような口調が、望みは叶えてやれないと暗に告げる。
話の流れである程度覚悟していたとはいえ、正直堪えた。
こんな…中途半端な気分のまま、甲子園の舞台に立つのか?
そんなの、惨めすぎる。
同じ行くなら、もっと堂々と顔を上げていたいのに、今まで積み上げてきた努力すら無為に思える。
野球に対する自分への自信はある。
だが、代表としての誇りと責任は別物だと初めて知った。
自分の力でインハイ出場権を勝ち取った瑞希が、羨ましい。
俺達は何故、勝てなかったんだろう。
昨日はそんな事、思いもしなかった。
全力を出し切った、現時点の俺達にはできすぎの成績に十分満足していたはずなのに……。
今になって悔しさが込み上げ、たまらず顔を背けると、会議室の窓の外、メイングラウンドに自主トレを始める部員の姿が見えた。
自分一人、立ち止まったまま、我儘を言ってる。
それがわかっていながら、出て行くこともできずに俯いた。
すると、
「成瀬君の気持ちは、全て…とは言えませんが、よくわかりました」
それまで黙って見守っていた監督が、初めて口を開いた。
「時間が許せば、君の望みも叶えてあげたい。ですが出発まで本当に日がないんです。向こうに着いてからもまともな練習はできないでしょう。今、君がするべき事は結城君の言う通り、和泉高校に行く事ではない。と私も思うのですが、どうでしょう? 成瀬君も本当はわかってますよね」
「………」
監督はずるい。
そんな風に言われたら、頷くしかないじゃないか。
「加納君が成瀬君の言う通りの人間なら、会わなくても気持ちは伝わるはずです」
その監督の言葉に、俺よりもキャプテンが大きく頷いた。
「俺もそう思う。いつものプレーをしてみせてやればいい。お前が何を望んでいるのか知らないが、それだけでわかってくれるだろ」
……俺が望んでいるもの?
それは―――
その言葉に感銘したり、言いくるめられたわけじゃない。
何もせず相手にわかってもらうなんて、そんな都合のいい事、あるわけない。
「――加納は、俺達の試合なんか見ません。けど、いいです。俺が無理言ったみたいです。監督やキャプテンを困らせるつもりありませんから。練習に参加します、失礼しました」
「おい、北斗」
「成瀬君」
呼び止める二人を敢えて無視し、足早に部屋を出て行く。
リノリウム張りの静かな長い廊下を足音を響かせて歩きながら、自己嫌悪にどっぷり浸っていた。
我ながら、情けない。
問題は加納の気持ちじゃなく自分自身のわだかまりなんだと、今のキャプテンの言葉で気が付いた。
俺の望みは一つだけ、和泉の甲子園出場辞退が、間違いであって欲しい。
だが、それが事実なら……西城が甲子園に行かなければならないなら、彼らに、羨ましいとか妬ましいとか思われず送り出して欲しい、そう願っているだけじゃないのか。
加納を友達だと言っておきながら、本音ではあいつらに俺達が代表で出る事を認めて欲しい、その為に加納の本心が知りたいと、思ったんじゃないだろうか。
……随分自分勝手な願望だ。
けど、そんな風に考えるほど、いつの間にかあいつの存在が俺の中で大きくなっていた。
自分に足りなかったものを加納は持っている。
マウンドに立つ勇気。
相手の闘志を受け止める度量。
打たれても堂々と投げ続ける精神力。
二年前、俺にフォアボールを投げた時ですら、彼のマウンドでの輝きは失われていなかった。
ベンチからの敬遠の指示に、悔しさを露にしつつたった一球だけ全力で投げ込まれたボール球は、俺の心にしっかりと届いた。
プライドを傷付けられ、観客からの野次や罵声も全てその身に受け止めて、それでも冷静にマウンドを守った。
唯一、久住への失投以外は―――。
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