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皆の連携プレーの掛け声を聞きながら、色々な事を考えてしまう。
西城の甲子園出場に諸手を上げて喜んだのは、当事者よりむしろ街の人達だった。
和泉の実力を誰よりも知っている俺達は、やはり代表のプレッシャーを感じずにはいられない。おまけに関の出場は非常に微妙だ。
決勝まで和泉に当たらなかったくじ運のいい結城キャプテンに、初戦、できるだけ後半を引き当ててもらうしかない。
あと一つ、望みがあるとすれば西城の真のエース、夏目先輩がマウンドに立ってくれれば、こんなに心強い事はない。俺のスランプなんか問題じゃなくなるのに……。
元々拾った代表権だ。
場合が場合なだけに結城キャプテンと柴田先輩は、出場が決まった一昨日、練習後、夏目先輩の両親を説得しに行った。
あと二日で懐柔できるかどうか疑問だが、何もしないより少しでも可能性があるならと部の為に奔走している。
それにしてもバッティングだけじゃなく守備にもスランプがあったのかと不思議な気分で、たった今外された練習風景を横目にひたすら走った。
一昨日の時点で自分の変化には薄々気付いていた。ただ、認めるのが怖かったのかもしれない。
俺の守備が安定していると、どういうわけか他の選手もエラーが少ない。
逆に言えば、俺の不調は部全体のムードに関わるという事だ。
そのスランプの原因は多分、和泉高校のセンターの選手の怪我、だけじゃない。
一昨日から立て続けに、派手に書き立てられている西城高校の甲子園出場権獲得を扱ったスポーツ紙と、それに合わせて載せられた選手の紹介ー特に個々のスナップのせいだ。
瑞希はスクラップブックに入れる記事が沢山できたと、喜んで切り取っていたが、口にするのも恥ずかしい煽りまくった文字を見た瞬間、二年前の記憶がまざまざと蘇り、それと同時にあの後の中学生活を思い出してしまった。
今回、幸子さんが再び悩む事はないと思うが、二年前の時も、それは騒ぎが一通り収まった後の余波としてやってきた。
メインはもっと俺の身近で、親しい奴らの被った被害だ。
あの日の県大会終了後、スタンドには沢山の観客が残り俺達に声援を送ってくれた。
その事が嬉しくて、号令を掛け挨拶した後、手にした野球帽を振って観客に応えた。
心からの感謝と共に、「ありがとう」と。
その時のショットまでが翌日の新聞に載り、それが後日の火種になったんだと、一連の騒ぎがピークに達した時、初めて松谷から聞かされ、散々責められた。
同じ小学校から入学してきた彼の一番の友人が、その時の騒動で野球部を辞めてしまったからだ。
松谷には後日「八つ当たりだった」と謝られたが、松谷が先にレギュラー入りし、俺とのプレーでも妙に息が合ったせいで、その友人に後ろめたさを感じていたんだろう。
いつも気にかけていたのを知っていた俺は、その事で松谷を恨む気にはならなかった。
それよりも、あんな思いを二度としたくない。
俺のせいで誰か親しい奴らが犠牲になるのは、もうたくさんだった。
何でもない些細な事や、して当たり前の事でも、マスコミが少し煽るだけで人は集まる。
集団になれば怖いものなどなくなるのか、お構いなしに学校まで押しかけ、練習中の選手には励ましだけでなく、野次が多く飛んできた。
特に俺達を見に来る女子に付随してやって来る暇な男子学生にとって、エラーした部員は格好の餌食になった。
その事で萎縮し、地方大会までに立ち直れなかったり、辞めたいと言い出す部員も出はじめ、キャプテンだった俺もどうすれば防げるのかわからなくて、成す術もなく途方に暮れた。
たかが公立中学の部活では見学者の規制なんかできないし、何より西城中は市の中心部にあり、グラウンドのフェンスを越えればごく普通の街並みが広がっている。
『遊ぶには最高の立地条件』と他の中学の学生から羨ましがられていたほどだ。
その為に教師がどれほど厳しく俺達を監視したか、興味を持つ授業作りにかけた努力や苦労など、外の者には見えもしない。
それはともかく、帰り道で他校の生徒に「いい気になるな」とか「生意気だ」等、いわれのない文句を付けられ嫌がらせを受けたり、暴力を振われそうになった部員もいて、帰宅時、後輩には必ず当時三年だった俺達が付き添った。
一人では危なくて、帰せなくなっていたんだ。
そんなこんなで西城中の中は大騒ぎだったのに、潮が引くみたいに一ヶ月を待たずして、「野球大好き」と称する追っかけはきれいさっぱりいなくなり、フェンスの下の無数のゴミだけが一連の騒動の残骸として残された。
騒ぎが収まった後、西城中の生徒全員が掃除に駆り出され、道行く市民に感心され、労いの言葉も多く掛けられたが、とても相手をする気にはならなかった。
その後、変わらず覗きに来たのは、前の歩道を散歩コースに入れているらしい年老いた夫婦と、通園路になっている保育園の子供達だけだったが、その見学者の声援が一番嬉しかった。
『人の心は永遠じゃない』と教わったのは、俺の両親から。
そして、『人の心は熱し易く冷め易い』と重ねて教えてくれたのは、その他大勢の人間だった。
振り回された西城中学野球部員は、一体何だったのか。
俺の、キャプテンとしての力が及ばなくて、庇いきれず辞めてしまった部員には、今も申し訳ない気持ちで一杯だ。もちろん松谷の友人にも。
だから引退した時は心底ほっとした。やっと肩の荷が下りた、そんな気分だった。
山崎への罪悪感はあったけど、幸子さんの事と重なって、野球への未練なんかこれっぽっちもないはずだった。
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