束の間の休息

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束の間の休息

 夏の全国高校野球ー県大会決勝戦で惜敗した翌朝、俺ー成瀬北斗ーは、いつものベッドと違う寝心地に違和感を感じ、ふっと目を覚ました。  もう夜が明けているのか、部屋の中はすでに明るい。  見上げた天井が随分高く、その天井に入っている(さん)に気付き、自分がベッドじゃなく床に、それも和室に寝ていると知った。  ……ここは、一階の和室だ。    覚えのない敷布団の上、重だるい身体を起こし、もうろうとした頭で昨日の事を思い返してみた。    夕方、西城高校に帰り、生徒会主催の残念会を体育館でした。  その後、PTAの人達と会食をして、解放されたのは八時半だった。  九時をまわってやっと吉野の家に帰ってきたんだ。  瑞希とも少し話をした気がする。けど、ほとんど覚えてない。  そうだ、スポーツバッグ。  洗濯物の話をしたら風呂に湯を溜めるからと言われ、ソファで横になって――  待ってる間に眠ってしまったのか。  けど、ここはどう見ても一階の和室だ。  俺、自分で歩いてここまできたのか?   ほんとに全然記憶にない。  有り得ないとは思うが、あいつに抱き上げられた、なんて事ない…よな。  ふと想像し、打ち消すように思い切り頭を振った。  もしそんな運ばれ方されたとしたら、恥ずかしさで憤死しそうだ。  少しずつ覚醒していく頭で考えても、思い出せないものは仕方ない。  顔でも洗ってさっぱりしようと立ち上がりかけ、自分のとんでもない姿に文字通り固まった。  上半身も裸だが、そんな事はどうでもいい。Yシャツ、脱いで寝たんだろう。  が、この中途半端に脱ぎ掛けた学生ズボンは……何を意味しているのか。  思わず、ごくりと生唾を飲み込んだ。  鼓動が訳もなく早くなる。いや、訳は大有りだ。  もしかして俺、試合に負けたうっぷんとかで、あいつに何か…した?  まさか!   いくら疲れていたとはいえ、本当にこれっぽっちも覚えてないし、身に覚えもない。自信はないが……。  もう一度、全開になったズボンに目を遣り、下まで下ろされたファスナーを急いで引き上げた。  身体から血の気が引いていき、辺りにヤバイものがないか探してしまうのは、現状が把握できない男なら誰でも普通にとる行動、だと思いたい。  それにしても…瑞希と顔、合わせられない。  こんな事でこんなに動揺したの、生まれて初めてかも――  いや、二度目だ。  思い出した途端、自己嫌悪に拍車がかかった。  あれは一年以上前、川土手で瑞希の告白を聞いた時。  とにかく、ベルトも抜かれたズボンがずれないように片手で引き上げながら、和室のふすまを開け、一目散にトイレに駆け込んだ。  しかし、…何て締らないんだ。  瑞希があんなに楽しみにしていた試合で負けて、それだけでも落ち込むには十分なのに、これは相当気まずい。  あいつに会った時、どんな顔をすればいいんだ?   そんな事を考えながらも、いつまでもろう城みたいな真似をしているわけにもいかず、トイレから出て洗面所に向かう。  その手前、脱衣室のドアが大きく開き、洗濯機横のカゴの中の白いYシャツが目に留まった瞬間、全てを理解した。  自分の潔白を知りほっとするのと同時に、羞恥心が全身を襲う。  この憤りをぶつける為、俺を裸に剥きかけた張本人の元へ迷うことなく駆け出した。 「瑞希!! お前なあ!」 「おはよう北斗。ちょっと味見して」  振り向いた瑞希の、玉じゃくしと小皿を持った格好に、がっくりと力が抜ける。  L字になった階段を掛け上がり部屋を探したが姿はなく、再び一階に下りてキッチンのドアを開け、やっと見つけたんだが、瑞希の方はそんな俺の行動を全て知っていて、白々しく味噌汁の味見を頼んできたりする。  その爽やかすぎる笑顔をぎろっと睨み、怒鳴りつけた。 「『おはよう』じゃないっ! 人の寝てる間になんて事するんだ!」  すると、明らかにムッとした顔をし、負けじと言い返してきた。 「俺は北斗のした事を、そっくりそのまま真似ただけだよ」 「とぼけるな! 俺がいつお前の服脱がしたっ!?」 「え、服?」  上半身裸のまま走り回っていた俺の格好にやっと気付いたのか、きょとんと見返す。  その表情があまりにも自然で、余計に腹が立った。 「俺は、裸でぶっ倒れたお前に服を着せてやった事はあっても、寝てるお前の服を脱がせた事は一度だってないぞ!」  何か、ものすごい台詞だと思いつつまくし立てると、瑞希の頬が僅かに朱を帯びた。 「ああ、なんだ、そっちの話か」  独り言のように顔を逸らしてぼそっと漏らすが、「そっち」? 「そっち」って、どういう意味だ?   それを深く考える間も与えず、瑞希がしゃくしを俺に突きつけ、とんでもない事を主張した。 「それは、北斗に頼まれたから脱がしたんだよ」 「!? う、嘘だ!」 「ウソじゃない。服がしわになるから脱げって言ったら、『動けない、脱がして』って」 「――それで、脱がしたのか?」 「うん。ついでに洗濯しとこうと思って」 「………」  こくんと頷く瑞希を、注意深く観察する。「なら、何でズボンが……」 「うん?」 「あんな中途半端なとこで止まってるんだ」 「あ、ああ…あれね」 「脱がすか戻すかしとけよ、びっくりするだろ」  というか、慌てた。 「あー、ごめん。なんかさ、さすがに下まで勝手に脱がしたらやばいかなって思って、でもほら……」  頬を染め、しどろもどろになって説明を始める。 『やばいに決まってるだろ!』  と言いたい、が、大体の事情は察しが付いた。  脱がしかけたもののためらいが生じ、そのまま逃げたんだろう。  気持ちは何となくわかる。  それに、俯いて必死に弁解する瑞希からは昨夜久しぶりに顔を合わせた時のよそよそしさが消えている。しかもその内容は俺のズボンのファスナーについて、だ。  真面目に話し合うのも馬鹿馬鹿しくなって、それ以上に自分で墓穴を掘りそうで、この話はさっさと打ち切ることにした。 「まあ、それはいい。何もなくてよかったよ、ほんと」  心の底から安堵の溜息を吐き出していて、さっきの瑞希の言葉を思い出した。 「それより『そっちの話か』って、あれ、どういう意味だ? 俺の何を真似たって?」  すると瑞希が、自分の肩口の竹刀に打たれた所を指差し、「これ」と、短く答えた。 「えっ!?」  その先に思い至った俺は、まさか、と目を瞠った。  首を捻ってみても、当然見えるわけない。  今度は鏡のある場所を求め走った。
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