束の間の休息

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   朝の光が明るく差し込む洗面室の大きな鏡を覗き込み、くっきりと付けられた跡が目に入った瞬間、頭に一気に血が上った。 「………っ!!」  マジか!?  洗面台の縁に手を掛け、食い入るように見つめる俺に、背後から暢気(のんき)な声が掛けられた。 「どう? けっこうしっかりついただろ?」  満足そうな声がして、縁に突っ張っていた手が、知らず震えた。 「――これ、ほんとにお前が付けたのか?」  馬鹿な質問だとわかっているが、とても信じられない。  けど、鏡に映る瑞希は、いつもと少しも変わらない。 「他に誰がつけるんだよ、そんなの」 「この、馬鹿っ! 何考えてんだ!」  振り返り、再び怒鳴り付けても、目の前の奴には自分のした事が全然わかってない。 「『何』って、北斗への復讐。俺だって恥ずかしい目に遭ったんだよ、しかもみんなの目の前で」 「……見られたのか?」  途端に、瑞希が不機嫌そうな顔をした。 「うん。久保が騒ぎ出して痣とキスマークの言い合いになるし、白井先輩は俺を傷付けたって落ち込むし、散々だったんだからな」  唇を尖らせて文句を言う。  本当にコロコロと表情を変える。  外見だけじゃない、何をしでかすか予測不可能な奴。  おかげで俺はいつも驚かされてばかりだ。  今も……この身体の昂ぶりを、瑞希は知らない。気付かない。 「――瑞希は…駄目だ、こんな事したら」 「何でだよ、北斗の真似をしただけだって言ったろ?」 「俺は……いいんだ」  瑞希が好きだから、いつも、少しでも触れたいと思う。  自分を正当化するわけじゃないが、それは自然な感情だ。けど、瑞希はそうじゃない。 「お前のキスは彼女の為に取っとけよ。遊びや仕返しでこんな事するなんて、らしくないぞ」  ダイレクトにこの話題を口にするのはまだ早すぎたのか、瑞希の顔がはっきりと曇った。 「そんなの、できるかどうかわからないだろ。それより北斗の反応が見たかったんだよ。いっつも俺をからかって楽しんでるから、ぶっとばすより効果あると思って」 「―――俺の…反応?」  駄目だ、止めろ!   頭の中で、警鐘が鳴る。 「本当に……見たいのか?」  低く掠れた声音に、「え?」と瑞希が聞き返す。  その隙に手首を捕まえていた。  自分の行動がどんな結果をもたらすか、そんな先の事を考える余裕なんかない。 「あっ!」と小さく声を上げた瑞希が後退り、掴まれた腕を振り解こうとする。  少しは進歩したらしい。が、このまま逃がしたりしない。  もう二度とこんな真似しないように、俺はこいつの知らない事を敢えて教えてやる。  必死に抗い、キッチンに逃げ込もうとする瑞希の両腕を掴み、壁際に追い詰めて動きを封じ、昂ぶった下半身をその身体にゆっくり押し付けた。 「わかるか、瑞希。これが見たかったんだろ?」  わざと耳元で囁いてやると、瑞希が首を左右に激しく振った。 「ちがっ……そんなつもりじゃ――」 「お前にそんなつもりがなくても、お前にこんな事されたら俺はこうなるんだ。わかったか」 「………」  息を呑んだ瑞希から返事はない。  それでも、小さく頷いたのはわかった。  田舎で、同級生の身体の変化に怯えて泣いた、幼い瑞希はもういない。  けど、何も知らないから無垢な心のままで俺に触れ、こんなにも容易く俺の身体を熱くさせる。  細く息を吐き出して、瑞希の身体を突き放すように解放した。 「なら、二度とするな。襲われたくなかったらな」 「北斗ぉ……」 「風呂、入ってくる。覗くなよ」  これ以上気まずくならないように冗談交じりに言って、その場をさっさと離れた。  いつまでも傍にいたら、本当に自分を抑えられなくなりそうで……  頼りなげに俺を呼び、後悔に唇をかみ締めたりするから、引き寄せて、抱き締めて、キスしたくなる。  何もかも奪いたくなる。  それが怖くて、俺はいつも逃げ出すんだ。  コックを捻ってシャワーの水を頭から被っても、身体の熱は冷めてくれない。  さっきの瑞希以上の後悔に苛まれながら、水に打たれ続けた。  ほんと馬鹿だ。  いつもいつも、教えなくていい事を……瑞希への当て付けみたいな真似をしてしまう。  そんなつもり全然ないのに、あいつが自分の身体の事をどう思うかなんて、二の次になる。  もう一度、瑞希の付けた跡を鏡に映して、苦く、自嘲的な笑みが浮かんだ。  ……こんなにくっきり跡付けやがって、どれだけ強く吸い付いたんだか。  全く、あいつときたら本当にとんでもない奴。俺の方がうかうか寝てられない。  好きな奴に服脱がされて、口付けの跡まで残されて、平然とできる方がおかしいだろ。  夕べの、俺が眠った後の瑞希の行動を思い返し、なぞるように口付けられた跡にそっと指を伸ばすと、身体が内側からより強く疼き始める。  シャワーの飛沫を全身に感じながら、愛しくてたまらないその名を……唇にのせた。 
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